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| 名前 |
谷山砦跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
「やつやま」と読み、「八ッ山」とも表記するそうです。アプローチは南の桐生市側よりも、裏手のみどり市側からの方が楽です。みどり市小平の鍾乳洞から伸びる林道を登り、林道がヘアピンカーブするところから尾根に取り付く道があります。すぐに尾根に到達します。そこには堀切があります。桜峠というそうです。ここから山頂へ向けて急な斜面をひたすら登ります。途中、岬状の尾根をかわして登ると山頂に至ります。山頂主郭は三角形で低い土塁が巡り、中心から西北にズレたところに土壇があり、小祠と谷山砦を示す板がくくりつけられています。東側の仁田山方面へは細尾根で繋ぎます。南側斜面には腰郭が二段あり、上段は低土塁を伴い、浅いですが横堀のようになってます。今回は行きませんでしたが、この腰郭からさらに南に下ると、堀切から南北に長い中曲輪、そして、小砦跡があるそうです。元は谷氏の城といいますが、桐生城の桐生氏の所領となってからは、仁田山の里見上総介勝広入道の持城となりました。元亀元年(1570)、里見上総が桐生親綱に謀られ攻められると、里見上総はこの谷山城に逃れて恭順を示しますが、家臣石原石見に裏切られ、ここで自刃したといわれています。