歴史が息づく烏山城跡。
烏山城 三の丸跡の特徴
烏山城は1417年に築城された歴史的な城跡です。
主郭には向かわなかったが、山城跡の典型を示しています。
地元の人々にも人気があり、訪れやすい立地にあります。
主郭には向かわなかったが、典型的な山城跡のようだ。織田信長公の息子である信勝公が、「本能寺の変」の後、羽柴秀吉公の意向で入城していたようだ。城跡は今後の整備に期待したい。
地元なので★4にしたいが2か3が妥当。跡地には建物は何もなく国道から見ると数段のひな壇のようになっているが、土塁なんだろうか?石垣とか角にあるし北側にはささやかに谷があります。
| 名前 |
烏山城 三の丸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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解説板「烏山城跡」より烏山城は、応永24年(1417)に那須氏一族の沢村五郎資重により築城されたと言われています。以後、約600年余り、幾多の変遷を重ねがら、歴代烏山藩主の居城として威容を誇りました。烏山城は、中心市街地の北西に位置する独立状の丘陵の頂上部を中心に築かれている連郭式の山城です。東西約350m、南北600mの範囲に、通称、五城三郭(古本丸・本丸・中城・西城・北城・常盤曲輪・若狭曲輪・大野曲輪)と呼ばれている曲輪群が築かれ、万治2年(1659)、時の烏山藩主堀親昌により、城の東山麓に新たな藩主の居館(通称:三の丸)が築かれました。城を防御する施設として、土塁、空堀、堀切などが曲輪の各所に設けられ、堅固な城砦を形成しています。また、本丸や常磐曲輪などの重要部分には石垣が築かれています。本城は本格的な石垣を持つ城として東日本では珍しく、貴重な城と言えます。