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| 名前 |
浄土宗 忠恩寺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
今は石仏群のほかにはさしたるものもない草原ですが、明治の終わりごろまでここに西光山忠恩寺という寺院がありました。浄土宗鎮西派で、知恩院の末寺だったとか。室町時代の末(戦国時代)、1528年(享禄年間)に長沼の領主、島津淡路守規久が建立したと伝えられています。やがて1601年(慶長年間)、長沼城主関長門守が飯山(4万石)に移封となったときに、忠恩寺を分寺する形で飯山に移設しました。飯山の忠恩寺は、飯山藩で最も重要な寺院――藩主家菩提寺――となり、今でも残っています。しかし、本来の長沼では、歴史がある古い寺でしたが、明治末期、無住となり、寺の文物を善道寺に引き渡して廃寺となったそうです。草原の北東隅には、おそらく阿弥陀如来だと思われる座像が置かれています。