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| 名前 |
諏訪明神鋪地(境内遺構) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
2.0 |
| 住所 |
|
諏訪明神鋪地とは、佐野村の下諏訪社の境内・宮司館の跡地、遺構を意味します(近くにある萬松山興隆寺の住職による)。ここには、1908年(明治41年)まで下諏訪社――社殿・神官住居など――がありました。この年にほかの3つの神社を旧飯綱社境内地に合祀して佐野神社を創建したことから、なくなってしまいました。天正年間に建立された本殿は、佐野神社の新しい蓋殿のなかに保存されています。その後、しばらくは魂抜きされた建物群があったようですが、売り払われたり、解体されたりしたようです。しかし、集落の小径から跡地を眺めていると、何やら昔、神聖な何かがあったであろうという趣きというか風格が感じられます。興隆寺橋から興隆寺に向かって登っていく、この坂道と周囲の景観には素朴な農村風景でありながら何やらゆかしい荘厳さが漂っているようです。