日光の隠れた歴史、四本龍寺。
四本龍寺の特徴
日光山の開山地で、勝道上人が庵を置いた歴史ある寺院です。
大切な由緒地であり、落ち着いて参拝できる穴場的存在です。
本宮神社の裏手にある、静かな雰囲気の素晴らしい文化財です。
穴場です(^-^)皆様、有名な東照宮を見に行かれるとおもいますが!ここも静かでいいですよ!
日光はここから始まった。意外と知られてなく目立たないので人はいなかったです。静かなところです。
観光客が少なめで,落ち着いて参拝できます。是非お参りしましょう!!
本宮の裏手にひっそりと佇んでいました。勿論こちらも縁のある場所で、とても大事な場所なので東照宮と一緒に巡ることをオススメします。
とても歴史と価値のある素敵な場所なので、ぜひもっと保護?保全?メンテナンスされますように!!東照宮の人混みに疲れたら、ひっそりと佇むこのエリアにぜひ。静寂の中、自らの心を省みたり祈ったりしたくなるはず。とても趣があります。ツウ好み?な感じというのでしょうか。神橋方面に向かう出口のすぐ近くにはカフェもあったので、次回はぜひ行きたいな。
とても歴史と価値のある素敵な場所なので、ぜひもっと保護?保全?メンテナンスされますように!!東照宮の人混みに疲れたら、ひっそりと佇むこのエリアにぜひ。静寂の中、自らの心を省みたり祈ったりしたくなるはず。とても趣があります。ツウ好み?な感じというのでしょうか。神橋方面に向かう出口のすぐ近くにはカフェもあったので、次回はぜひ行きたいな。
♪「四本龍寺」は勝道上人の草庵として建立されたと伝えられている。最初は「紫雲立寺」と呼称されていたが、「四本龍寺」と変化した。日光山寺院で最古の創建♪四本龍寺…名は残ったが今は無く幻と化した。 名前と観音堂 、三重塔が残っている。♪紫雲立寺の創建は天平神護ニ年 (766年)…観音堂の創建は大同ニ年 (807年)で曾ては四本龍寺の本堂だったらしい。貞享ニ年 (1685年)に再建されている本尊…千手観音脇尊…不動明王、五大尊、勝道上人、金剛童子 (明治七年に合祀)♪観音堂は素木造りの建造物で寺額には「金剛山」と記されている。♪日光と云えば東照宮を筆頭に煌めく装飾と朱色が目立つが、二荒山神社の神輿舎も素木造りでした 2020/11/03
本宮神社~四本龍寺にも素晴らしい建築文化財があります。観光客(私もそうなんですが)でごった返す日光東照宮近辺とは打って変わって、とても静かで落ち着きますよ。現存する三重塔、観音堂は国の重要文化財に指定されています。有り難く、”千手観世音”の御朱印を頂きました。(輪王寺にて拝受)
日光山の最初のお寺です。勝道上人によって創建された場所。ここから男体山の頂上を極め中禅寺を開創したのかと思うと改めて勝道上人はすごい人だったんだと改めて感じます。死去の地もここら辺で四本龍寺の北にある岩窟といわれてますがその場所がどこかは分かりませんでした。日光山としては結構重要な場所ですがほとんど観光客もいないのでちょっと寂しく思います。ただ観光地の賑わいから離れてまったりするにはおすすめの場所です。
| 名前 |
四本龍寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 住所 |
|
| 評価 |
4.3 |
周辺のオススメ
二十年振りの四本龍寺四本龍寺を見ずに日光を語るなかれ東照宮や輪王寺は年間200万人もの観光客が訪れるが、こちらの四本龍寺は九分九厘知られていない現在の日光山は勝道上人がこちらに庵を置いた事から開山された日光山で最も大切な由緒地である前回二十年前に来た時には本尊は金剛童子と説明書きがあったが、正確な調査をしたのか千手観音が本尊で金剛童子は脇仏と言うことだ勝道は互いの知人である伊博士を通して会ったことが無い空海に『沙門勝道山水を歴て玄珠を瑩く碑并びに序』を執筆依頼し空海も依頼に応じている勝道は40才も年下の空海へ依頼した勝道の出来た人間性と空海の才能が良く分かるエピソードだ。