歴史の足跡を感じる慰霊碑。
奈佐・塩治慰霊塔の特徴
勇敢な海賊衆・奈佐日本助と、山賊衆・塩冶高清の碑がある史跡です。
1581年の歴史的背景を持つ、戦国時代の慰霊塔です。
鳥取城主・吉川経家の自刃に関する重要な場所でもあります。
吉川経家に仕え、海賊衆と呼ばれた奈佐日本助と山賊衆と呼ばれた塩冶高清の慰霊碑です。羽柴秀吉が鳥取城攻めの際、奈佐日本助が守った丸山城の麓にあります。秀吉が非常に手を焼いたことから経家は武勇を惜しんで助命しようとした一方、2人の切腹は譲らなかったと言われている。道沿いにあるため見学には注意が必要です。重箱緑地の駐車場から歩いて行けます。
| 名前 |
奈佐・塩治慰霊塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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天下統一を目指す織田信長の家臣 羽柴秀吉が中国地方平定の手始めとして鳥取城主 吉川経家を自刃させたのは天正9年(1581年)10月25日のことでした。鳥取城の出城 丸山城を死守していた2名の武将 奈佐日本助と塩治高清はその報に接するや主君の死に殉じました。本日令和5年10月25日は吉川経家公の443年忌、殉じた2名の武将も供養搭に安らかに祀られています。(合掌)