熊野古道藤白坂の歴史探訪。
熊野古道 藤白坂の特徴
熊野古道が書かれた提灯があり、訪れる人々を迎えている。
悲劇の有間皇子にまつわる歴史が感じられる場所である。
藤白神社が近くにあり、文化的な体験ができる。
熊野古道紀伊路の中で古道らしい雰囲気を残す名所の藤白坂です。峠付近では遠く淡路島や四国の島影も見え素晴らしいですね。また1丁ごとに石仏もあり、万葉ロマン満載です。
石碑が目印です。
夏に登ったので、途中、蚊等虫が纏わりついて、鬱陶しかった。約1時間で坂の上に出るとの案内だったが、30分でたどり着いた。
付近の民家の軒先に熊野古道と書かれた提灯がぶら下がってたりして雰囲気はとてもよい。まだ暑かったので、坂はなかなかキツかった。
熊野古道藤白坂、山あいにて出逢う。悲劇の有間皇子(孝徳天皇の息子。有馬温泉で産まれたのでこの名)は、中大兄皇子に睨まれ、馬鹿のフリまでしてスルーしたかったのに。蘇我赤兄に嵌められ、讒言されあえなく落命した。「天と赤兄のみが知る…」の言葉残し逝く(658年12月11日)。「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還りみむ」有馬皇子、自ら傷みて松枝を結ぶ歌。その処刑場所がココなのかな? 藤白神社との関係もよくわからない。それならこの場所が“仮墓”となるのか?(皇族が亡くなれば大きい古墳を築くはずだからね)なんかこの辺り、いまいちハッキリしない。御坊にある「岩内一号墳」が有馬皇子の墓所との説がある。立派な副葬品がいくつか出土し、乾漆棺でもあることから皇族墓で間違いないと言える。「藤白のみ坂を越ゆと白妙の我が衣手は濡れにけるかも」大宮人偲び詠むと謂う。
藤崎(原文)藤白坂。
この場所は入り口に当たる。海南市街が一望できるポイントは、北緯34.1418 東経135.206。紀淡海峡の展望所(藤白坂 展望所)は、北緯34.1397 東経135.2032。
藤白神社は?有間皇子を祀りしている神社と思っていましたが?よく分かりません?鈴木姓発祥の地も?何処から鈴木の名前が出来たのかも良く分かりません?私的には?家の木に鈴が沢山ぶら下がっていたので鈴木と付けたのか?どうなんですかね?
熊野古道藤白坂。悲劇の有間皇子(孝徳天皇の息子。有馬温泉で産まれたのでこの名)は中大兄皇子に睨まれ、馬鹿のフリまでしてスルーしたかったのに。蘇我赤兄に嵌められ讒言され、あえなく落命した。「天と赤兄のみが知る…」の言葉遺し逝く(658年12月11日)…。その処刑場所がココなのかな?じゃあ仮墓になるのかな?(皇族が亡くなれば大きい古墳を築くはずだから)未だにハッキリしない。「藤白のみ坂を越ゆと白妙の我が衣手は濡れにけるかも」…大宮人偲び詠むと謂う。
| 名前 |
熊野古道 藤白坂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.kainan.lg.jp/kanko/midokoro/bunkazai/arimanomiko.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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