頭の神様で合格祈願!
頭の宮 宇賀部神社の特徴
頭の神様として名高い、宇賀部神社は由緒深い場所です。
参拝者の多い神社で、合格祈願に最適なスポットです。
通称おこべさんとして親しまれ、地域の信仰を受け継いでいます。
神武天皇の実在性に大きく関わる名草戸畔の伝承地。また昭和の人には馴染み深い小野田寛郎元陸軍少尉ゆかりの地でもある。ほかにも狛犬が出雲でお馴染みのスタイルだったり、濃厚な時間が過ごせました。車の場合、対向不可の生活路を通ります。電柱にかすった跡がいっぱいあったので、くれぐれも運転にご注意を。
ナビで行くととても狭い道に案内される事があるので、確認して訪問推奨。駐車場あり。「最後の日本兵」小野田さん関係の物が色々あり、興味深かった。狛犬は小ぶりだが立ち上がったお尻といたずら好きっぽい顔が面白い。
古事記に関心があり和歌山巡りへ由緒や小野田さんとの関係などとても興味深い鳥居をくぐり階段を登るとさらに木造の鳥居がありそのたもとに幸せ願う狛犬が鎮座石垣の上に幣殿があり奥の拝殿を参詣末社やしあわせなで石などもあった。
頭の宮 宇賀部神社642-0014 和歌山県海南市小野田917昭和の人間にとって「海南市小野田」と言えば、最後の日本帝国軍人「小野田少尉」を思い浮かべる。宇賀部神社には「小野田少尉の言葉」が残されている。さて、「頭の宮 宇賀部神社」の社伝によれば、名草戸畔伝説が書かれている・・神武東征一行が各地を平定しつつ大和を目指して攻め上がろうとした、だが紀ノ国では「毛見ノ浜」に上陸したものの名草戸畔の反撃にあい、死闘を繰り広げた、神武東征軍は「五瀬命を失い」竈山神社に葬った。一方名草戸畔は勇戦奮闘したが最後を遂げた、そこで邑人はその頭を携え、小野田の里に身を潜め、高倉山の北麓にあるこの小高い山に葬ったのが「おこべさん」の由来だと書かれている。尚、腹部は杉尾神社に、脚部は千種神社に葬り祀られていると言われている。・・この社伝から① 「五瀬命」は奈良・登美のナガスネヒコの矢傷で死んだのではなく、紀ノ川を遡ろうとして? 和歌山・名草戸畔との戦いで戦死している、紀の川の中流域には「那賀郡」が有り、「ナガ○○」と云う戦士の矢に当たって戦死したのか?・・荒河戸畔(旧那賀郡荒川・現桃山町)は崇神天皇の后として娘を差し出している。② 伊太祁曾神社の故地が「日前神宮・國懸神宮」だった、すなわち「大和系」に「出雲系」が征服された。③ 元伊勢・奈久佐浜宮はその地に祀られていた「神」を大和系の「神」に変えてしまった。④ 後に活躍する武内宿禰生誕地・根拠地である。和歌山・名草は神武軍に征服されたことが明らかとなる。
海南市では「頭の神様、学問の神」として昔から有名な神社です。この辺りではお正月初詣、受験シーズン、春祭り、等々季節の節目節目で誰もがお詣りさせて頂き、お世話になっている地元の護り神様です。付近の文殊の杜含めて厳かや雰囲気を醸し出しています。
脳梗塞で倒れて昏睡状態になった母親の枕下に、宇賀部神社のお守りを置いたら、喋れるまで回復しました。さすがは頭の宮さんですね。
頭の宮、おこべさんで親しまれている、海南市でも有数の、小野田兵にもゆかりのある神社です。
頭の守護神として「頭(こうべ)之宮 宇賀部神社」と表記されることも通称:「おこべさん」「おこべじんじゃ」名草戸畔伝承の地でもあるそうです地元豪族の首長で、戦死した亡骸のうち頭部を宇賀部神社、腹部を杉尾神社、脚部を千種神社に葬った(祀った)という伝承。頭之宮と呼ばれるのもこれが由来。
小野田さんの信念に感服。芸術芸能の神さんも鎮座している、ロマンチックな聖なる場所です。
| 名前 |
頭の宮 宇賀部神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
073-487-3285 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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