山奥の静寂、湯川氏の菩提寺。
鳳生寺の特徴
湯川氏の菩提寺として歴史を感じる場所です。
臨済宗妙心寺派に属する伝統ある寺院です。
山の奥にひっそりと佇む、静謐な境内があります。
鳳生寺『境内由緒書』『紀伊続風土記』より臨済宗妙心寺派の寺院。山号は瑞雲山。有田日高西国霊場第三番札所。本尊は釈迦如来。『鳳生寺略史』によれば、旧日高郡富安荘下富安村の会下の谷(『紀伊続風土記』には小谷)にあり、奈良時代、行基上人が熊野参詣の際、この地を瑞雲雲愛,雲逮,(あいたい)すると見抜いて諸仏の霊跡なりと草庵を建立し、自ら釈迦牟尼仏を彫って本尊とし、瑞雲山鳳生寺と号した。また、平安時代中期に源信上人(恵心僧都)が鳳生寺に住し、丹精に凝らして十一面観世音菩薩を造って観音堂を建立したと伝わる(この記述は『紀伊続風土記』には無い)。時が経て、室町時代の宝徳元年(1488年)、湯川光英(『日高郡誌』では光清の子。『湯河文書』の系図には記載が無い)が観世音菩薩の霊告により、鳳生寺を再建。七堂伽藍を建立し、曹洞宗の箕外上人を開山に迎え、代々湯川氏の菩提寺として、人々から「南紀第一の禅刹」と言われた。しかし、天正13年(1585年)、豊臣秀吉による紀州征伐で一部の堂宇を残して全山焼失。関ヶ原の戦い後の慶長年間(1600年~1615年)に和歌山藩主となった浅野氏により再建され、田畑を寄附(『紀伊続風土記』には旧日高郡岩内荘熊野村(現・御坊市熊野)とある)。また、田中淡路守は資財を寄進したと云う。現在の本堂と庫裡は平成に入ってから建立されたものである。
| 名前 |
鳳生寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0738-22-6155 |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
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山の奥にひっそりとたたずむ、湯川氏の菩提寺です。