仏旗が目印の隠れ家。
東泉寺の特徴
国道から入る狭い道を進まないとたどり着けないお寺です。
仏旗が掲揚されていることが特徴的な仏教寺院です。
由良町の静かな場所に位置する隠れた名所です。
ここ非常に分かりにくいです。なんせ地図に道が載ってません。30分ほど探しましたが見つけてしまえば簡単。白山神社に行く道を左に曲がればあります。カンを研ぎ澄ましましょう。手入れの行き届いたきれいなお寺です。
仏旗が掲揚されているお寺さん。ここも入り口までは細い道。軽自動車必須の場所ですね!!臨済宗妙心寺派の寺である。当寺は、元西山浄土宗の寺院であった。原右衛門太夫が、天正から慶長(けいちょう)頃(1573~1615)に建立したと伝えられている。その後、臨済宗であった三尾川の鷲(じゅ)林寺(りんじ)と交換(こうかん)して、禅宗(臨済宗)に改宗(かいしゅう)したと伝えられている。改宗の記録はないので詳(くわ)しい事は分からないが鷲林寺の古記録から判断すると、適伝(てきでん)上人が還俗(かんぞく)した天(てん)正(しょう)年間(1573~1591)以前と思われるとある。 歴代(れきだい)住職(じゅうしょく)ではっきりしているのは、翠岩(すいがん)祖(そ)松(しょう)(元禄(げんろく)9年7月寂)である。翠岩和尚は、興国寺中興後7世の老師(ろうし)であり、貞(じょう)享(きょう)4年(1687)に隠居し、東泉寺で元禄9年(1696)7月4日に示寂(じじゃく)している。「亡僧搭」という墓も建てられている。創建(そうけん)当時の寺は、現在地の西約70メートル位西の場所にあったが、寛政4年(1792)に現在地に移転改築されたものという。本堂・庫裡は、その後も改修されている。境内(けいだい)に、室町時代位の宝篋印塔(ほうきょういんとう)2基と地蔵(じぞう)菩薩(ぼさつ)石像(せきぞう)が、江戸時代の庚申像(こうしんぞう)も祀られている。他にもう1基、室町時代頃の宝篋印塔も祀られていて歴史の古さが偲(しの)ばれる。
仏旗が掲揚されているお寺さん。ここも入り口までは細い道。軽自動車必須の場所ですね!!臨済宗妙心寺派の寺である。当寺は、元西山浄土宗の寺院であった。原右衛門太夫が、天正から慶長(けいちょう)頃(1573~1615)に建立したと伝えられている。その後、臨済宗であった三尾川の鷲(じゅ)林寺(りんじ)と交換(こうかん)して、禅宗(臨済宗)に改宗(かいしゅう)したと伝えられている。改宗の記録はないので詳(くわ)しい事は分からないが鷲林寺の古記録から判断すると、適伝(てきでん)上人が還俗(かんぞく)した天(てん)正(しょう)年間(1573~1591)以前と思われるとある。 歴代(れきだい)住職(じゅうしょく)ではっきりしているのは、翠岩(すいがん)祖(そ)松(しょう)(元禄(げんろく)9年7月寂)である。翠岩和尚は、興国寺中興後7世の老師(ろうし)であり、貞(じょう)享(きょう)4年(1687)に隠居し、東泉寺で元禄9年(1696)7月4日に示寂(じじゃく)している。「亡僧搭」という墓も建てられている。創建(そうけん)当時の寺は、現在地の西約70メートル位西の場所にあったが、寛政4年(1792)に現在地に移転改築されたものという。本堂・庫裡は、その後も改修されている。境内(けいだい)に、室町時代位の宝篋印塔(ほうきょういんとう)2基と地蔵(じぞう)菩薩(ぼさつ)石像(せきぞう)が、江戸時代の庚申像(こうしんぞう)も祀られている。他にもう1基、室町時代頃の宝篋印塔も祀られていて歴史の古さが偲(しの)ばれる。
名前 |
東泉寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0738-65-3516 |
住所 |
|
評価 |
3.5 |
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国道から入る道はとても狭い。こじんまりとしたお寺ですが手入れは行き届いて綺麗です。