昭和13年の歴史を感じる。
米陸軍相模補給廠専用線跡の特徴
昭和13年に敷設された歴史深い側線です。
旧日本陸軍の相模造兵廠の遺構が楽しめます。
米軍相模補給廠へのアクセスが興味を引きます。
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史跡?ただの細長い空き地。100年後も残っていたら史跡として認めるべき。
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| 名前 |
米陸軍相模補給廠専用線跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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横浜線から米軍相模総合補給廠へ向かう側線は旧日本陸軍相模造兵廠の前身、相模兵器製造所の開設と同じく昭和13年(1938年)には敷設されていたと言われます。旧陸軍相模造兵廠であった頃は、横浜線と平行した南側のみが敷設されていましたが、米軍接収後相模総合補給廠の拡大に伴い増線されていき、最終的には敷地をほぼ一周することになりました。昭和34年(1959年)に使用休止となりましたが、ベトナム戦争により相模総合補給廠の役割が重視されると、昭和44年(1969年)から数年間使用が再開されました。