日朗巡る坂道の歴史。
朗師坂の特徴
坂の下にある由来書きが歴史を感じさせる場所です。
日朗が毎日上った坂道を体験できる貴重な史跡です。
坂を上がると山上の大切な日蓮御廟所に至ります。
大田区民会館脇を曲折して上る石段坂です。坂名の朗師(ろうし)とは日蓮門下六老僧の一人、日朗(にちろう)(1243年から1320年)のことです。
池上会館の入口から上れる坂道で坂名の由来は石柱によると日蓮門下六老僧の一人,日朗のことで、日朗は祖師入滅後,寺窪(現在の照栄院付近)に草庵をつくり,以後三十有余年毎日この坂を上り,山上の日蓮御廟所へ参拝したといわれる。
坂の下に由来書きがあります。「日朗聖人ガ三十九年ノ間 日蓮大聖人ノ御墓所ヘ日日往復ナサレ給ヒシ坂ナリ」コンクリートの階段を上がった後に石段が続きますが、石段が崩れかけている場所があるため、少し歩き辛いです。
| 名前 |
朗師坂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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坂名の朗師とは、日蓮六老僧の一人である日朗(1245-1320)のこと。坂名を刻んだ石碑に、「日朗聖人ガ三十九年ノ間、日蓮大聖人ノ御墓所ヘ日々往復サレ給ヒシ坂ナリ」、とあります。長い石段が続く結構急な坂道です。