国民学校の門柱と石碑。
越来国民学校跡地の特徴
明治15年創立の歴史を持つ越未校跡地です。
残された国民学校の門柱と石碑が印象的です。
歴史的背景を感じられる静かな史跡です。
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爆撃で残った国民学校の門柱、そして石碑。
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| 名前 |
越来国民学校跡地 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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越未校は明治一五年(八八二)に字越来に創立され、明治一九(一八八六)美里小学校と合併して美越小学校と改称、明治二一年(一八八八)美越尋常小学校となった。明治二九年(一八九六)在籍増により大里分校と字上地に上地□校が設置開校され、明治三五年(一九〇二)越来尋常高等小学校、昭和一六年 (一九四一)越来国民学校と改称された。昭和二〇年(一九四五)三月末に米軍の爆撃で校舎は灰燼に帰したが門柱だけは残り、米軍基地で利用していたのを昭和二五年(一九五〇)安慶田小学校に移談し使用されていた。この門柱は昭和一六年学校創立六〇周年を記念し建立したものであるこの度、学校敷地の一部である此の地に、思い出の門柱を再建し碑を建立して、学校名を後世に伝えるものである。-碑文より-