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名前 |
里の城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.5 |
里の城遺跡。古代から中世にかけての古い山城跡で、昭和52年の調査では、最下層には石器、次に陶磁器や土師質土器が多数出土した。中世以後は、上相良氏の一族、鍋倉氏の居城。廃城後、近世以降は墓地として使用されており、墓壙(墓穴のこと)が六基発掘され、人骨も出ている。北西に九鹿の城、西に馬門(まかど)があり、北の広域農道は旧北目街道だった。里の城の実際の推定地は、公園整備されている丘の上ではなく、斜面の途中で、果樹園桑畑だったところで、現在の二つの里の城橋のあたりは球磨川の船着き場だった。城はこの船着き場を見下ろす位置にある。里の城集落は丘陵の上にあり、川の真上にありながら、城内には水源がないので、城としては水運びが必要で、水に苦労していたという伝承がある。