石垣原で蘇る戦国の息吹。
石垣原古戦場跡の特徴
1600年の重要な合戦が行われた石垣原の歴史的な場所です。
黒田如水と大友義統が激闘を繰り広げた史実が刻まれています。
歴史ファンにとって必見のスポットで、合戦のドラマを感じられます。
石垣原古戦場跡。1600年に起きた関ヶ原の戦いの前日に石田方の大友義統公と徳川方の黒田如水と細川家家老の松井氏連合軍の合戦。序盤は大友軍の吉弘統幸の活躍などで大友方優勢だったが後詰めの黒田如水本隊が到着し兵力で圧倒して両翼の大将である吉弘統幸と宗像統続は討死し大友方は瓦解し南立石にある城に撤退後。降伏。この時、熊本城の加藤清正は黒田如水に援軍しようと阿蘇まで着ていたが別府ロープウェイ側の所まで着いていた先遣隊の知らせを聞いて熊本に引き揚げたそうです。
1600年9月13日関ヶ原の戦いが始まろうとしていたその時、中津城で黒田長政の遠征を守っていた隠居の黒田如水と、大分の大友義統がこの地石垣原で合戦をしました。西に鶴見岳、南に朝見川があり雑木林や田畑が広がった石垣原の要所に陣をはった大友軍でしたが、軍勢と戦力に勝る黒田軍にその日のうちに破れました。石垣原古戦場跡の石碑は、以前荘園通りの、もっと西側にあったようですが、この七ツ石温泉の前の通り沿いに移されています。
| 名前 |
石垣原古戦場跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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関ヶ原合戦の2日前、1600年9月13日に勃発した黒田官兵衛と大友義統が争った古戦場跡です。当時、既に隠居していた官兵衛ですが、天下取りの野望を持って居城の中津城を出陣します。そこへ豊後の旧領主だった義統がかつての領地を取り戻そうと杵築城を取り囲み、救援に向かった官兵衛と石垣原にて合戦が勃発します。結果は官兵衛の圧勝で、関ヶ原合戦当日の9月15日に終結します。敷地内には七ツ石温泉があり規模は小さいですが近所の住民の方々の憩いの場となっています。駐車場はありますが軽自動車が2台停めれるぐらいかなり狭いので、付近のパーキングを利用された方がいいと思います。