木崎原合戦の死者を弔う。
六地蔵塔の特徴
木崎原古戦場跡に立つ歴史的な六地蔵塔です。
島津義弘が戦没者を弔うために建立した塔です。
両軍の戦死者を供養する意味を持った地蔵塔です。
木崎原合戦の後に島津方の大将であった島津義弘が両軍の戦没者を弔って造立したと伝わる地蔵塔。実際に史料的裏付けがあるのかは知らないが、それなりに古そうには見える。
木崎原の戦いで、日向伊藤軍は1,000人以上が戦死したと云われている。弔いの為に島津義弘候が建立したものです。当時は呪いが降り掛かると云われた時代であり、戦死者を弔うことが必要だったとも云われている。
元亀3年(1572年)、日向の伊東氏と薩摩の島津氏による合戦「木崎原の戦い」が行われた場所で、勝利した島津氏により、両方の戦死者を弔う六地蔵塔が建てられています。この合戦の後、島津氏は三州(薩摩・大隅・日向)を統一し、伊東氏は衰退の一途をたどるという明暗を分けたため、「南九州の関ヶ原の戦い」といわれているそうです。2022年は合戦から450周年になります。
島津義弘公が木崎原の合戦での死者を、敵味方を問わず弔う為に建てた塔です。
木崎原合戦の戦死者を供養する塔。大木に護られています。
| 名前 |
六地蔵塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.ebino.lg.jp/soshiki/shakaikyoiku/5/896.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
木崎原古戦場跡にありました。六面に地蔵が彫ってあるので六地蔵と言うそうです。