千崎古墳群で古代の息吹を感じる。
千崎古墳群の特徴
千崎古墳群は維和島の最北端に位置し、海を望む丘陵にあります。
古墳時代の前期から中期に築造された文化財の集まりが魅力です。
急な石段を登ると、石棺が露出している古墳の光景が楽しめます。
オルレ維和島コースのスタート地点からゆ進んだところです。いくつもの古墳が点在してます。まるで木の肌に見える石棺です。
写真にある看板の近くの古墳は、急な石段を登った先にあり、古墳の石棺が露出している様子を見ることが出来ます。ここには2基の石棺が比較的近い距離にあります。看板の近くの古墳だけではなく、周囲には合計26基の古墳があるそうです。
| 名前 |
千崎古墳群 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0964-56-1111 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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千崎古墳群上天草市指定文化財築造年代:古墳時代の前期後半から中期前半頃(西暦300年から350年くらい)千崎古墳群は維和島の最北端の海に突き出した千崎の丘陵に位置しています。 古墳は丘陵頂部から稜線に位置しています。 箱式石棺墓、横穴式石室墓などが26基確認されており、人骨や副葬品が出土しています。入り口縦杭には「海洋民族の墓で、維和人の先祖と推測されます」と書かれている。人骨、鉄剣、玉が出土されています。千崎古墳(せんざきこふん)の築造年代は、古墳時代の前期後半から中期前半頃(西暦300年から350年くらい)で、耕作地の限られた当地では、その生産基盤は海であり、国の内外との交易に海人(あまびと)が活躍していた時代でした。そうした海人の墳墓が、海が見渡せる千崎丘陵に造営されたものと推考されます。千崎古墳群は、天草諸島の古墳時代の社会構造、さらには八代海沿岸地域との関連などを解明する手がかりとして貴重です。古墳期ににおける有明海沿岸地域における人々の生活における海洋生態系。火の君一族とは何か。古墳がどのように全国に広がっていたのか。※昔は神道や仏教を初めとする原始宗教では山を信仰していました。山には神が住んでいるとされていたので、各豪族達は自分達の権威を示すためにこぞって山の上に墳丘を造ったり、盛り土をした墳丘墓を作りはじめたのではないかと思われます。五号墳(横穴式石室墓)では勾玉や臼玉が出土し、 追葬の痕跡や赤色顔料が確認されていま す。 古墳時代中期前半ごろの築造と推定されています。十号墳(箱式石棺墓)では、 棺内で赤色顔料と石灰藻が確認されており、棺外からは直刃鎌、袋状鉄斧、鉇(やりがんな)、刀子のミニチュア鉄器等、鉄製ミニチュア農工具が出土しています。 古墳時代前期後半から中期前半の築造と推定されています。