国内最大級の弥生遺跡で感動体験。
妻木晩田遺跡の特徴
山陰特有の四隅突出型墳が多く、遺跡の魅力満載です。
弥生式住居が復元されており、古代の集落が再現されています。
大山山麓からの絶景が楽しめる、幻想的な場所です。
ウォーキングにもいい。当時の暮らしの様子がわかりやすく展示されているので、大人は改めて日本史を学びたくなると思うし、お子さんの学び始めにもいいところだと思います。
「大山町:妻木晩田遺跡」2025年8月のバイクツーリングで立ち寄りました。この時の旅の最大の目的地でした。妻木晩田遺跡は、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけて栄えた日本最大級の弥生集落遺跡です。標高90〜120mの丘陵地に広がり、面積は約170haに及びます。集落には竪穴住居や高床倉庫、環濠などが確認され、当時の生活や社会構造を知る手がかりとなっています。多数の青銅器や鉄器も出土し、山陰地方における政治的・経済的拠点であったことを示しています。現在は「妻木晩田遺跡公園」として整備され、弥生時代を実感できる歴史ロマンあふれるスポットとなっています。ところで、この遺跡は小高い山の上にありますが、弥生時代後期、集落を山の上に築くことにはいくつかの重要な理由がありました。●防御のため当時は各地で争いや戦いが起こっており、平地よりも見晴らしの良い高地に住むことで、外敵の接近を早く察知でき、防御にも有利でした。●権威と象徴性丘陵上に集落を築くことは、周囲に対して支配力や威厳を示す意味もありました。実際、妻木晩田遺跡は山陰地方の政治的中心地だったと考えられています。●生活環境の利便性山の斜面は水はけが良く、周囲には田畑を広げやすい平地や水源も存在しました。暮らしやすさと防御性を兼ね備えた立地だったのです。つまり、妻木晩田遺跡は「安全性」「権威の誇示」「生活環境の良さ」をもった文化圏だったと考えられます。ちなみに、実際に争いの痕跡を示す遺物も見つかっています。ただし、大規模な戦乱の証拠(焼け跡や大量の人骨など)は少なく、戦いというより「緊張に備えた要塞的集落」であった可能性もあります。
国内最大級の規模を誇る、弥生時代の集落遺跡です。史跡から日本海を見下ろす風景はとても素晴らしいです。当初、リゾート開発か保存かの選択を迫られた中で、保存を決断されたとのこと。英断であったと思います。
非常にいい遺跡復元されてます❗🌟佐賀県吉野ヶ里遺跡、青森県三内丸山遺跡など大きな遺跡として有名ですが、ここ妻木晩田遺跡は国内最大級の弥生遺跡だそうです❗💯また、お墓の形も変わっているのも特徴的です🌟駐車場が無料なのは勿論、入場も無料❗❗そしてお土産が安い🤩考古学が好きな方は是非いらして下さい😊
弥生時代(3000年前 – 1750年前)の集落遺跡。国の史跡に指定されています。遺跡の面積は156haにおよぶ大規模なものです。島根県安来市から、この妻木晩田遺跡まで弥生後期に栄えた古代出雲の中心地であったと考えられています。1995年(平成7年)から1998年(平成10年)にかけて、京阪グループによるゴルフ場建設を初めとする大規模リゾート開発計画に伴い遺跡が発見されました。遺跡が大規模で貴重なため京阪側が開発中止を決定しました。1999年(平成11年)12月22日に国の史跡に指定され、後に鳥取県によって保存・整備が図られています。17.2haが調査され、集落関係では竪穴建物395棟、掘立柱建物跡502棟、弥生墳丘墓(四隅突出型墳丘墓含む)24基、環壕等が検出されています。集落は弥生時代中期から古墳時代前期初頭にわたって営まれていました。魏志倭人伝において記述が見られる、2世紀後半(弥生時代末期)に日本で起きた倭国大乱(わこくたいらん) の影響と考えられる高地性集落です。
山陰特有の四隅突出型墳がゴロゴロあるすごい遺跡、ゴルフ場開発でぶち壊す計画が上がった時は断固反対運動に参加しました。
妻木晩田(むきばんだ)遺跡は、とてつもなく大きい遺跡です。丘陵上の各地に、遺跡が残っており弥生の館から仙谷墳墓群まで、歩いて40分ぐらいかかります。もともとゴルフ場の計画があり、そこから見つかった遺跡のようです。面積は170haぐらいあり、その大きさは日本最大級です。弥生時代、紀元前1世紀からはじまり紀元1世紀~3世紀前半まで栄え、古墳時代初め3世紀後半には衰退し、その後は古墳が造られていたことか分かっています。すでに900以上の建物跡、30基以上の墳丘墓が発見されてますが、まだ10分の1ぐらいの発掘面積ですから驚きです。洞ノ原地区には、日本海側にしかない初期の四隅突出型墳丘墓があり、古代好きな人にはたまらない場所です。
弥生時代の広大な遺跡です。施設が整備されていて景色もとても良いところです。
大山山麓にある巨大弥生遺跡。日本海美保湾が一望できる高台にあり、とにかく気持ちの良い遺跡です。スケールから言うと吉野ヶ里や三内丸山よりも上で、今後、更に発掘や復元を進めれば大人気遺跡になるポテンシャルを感じます。広義の出雲系勢力が相当力を持っていたことを一発で実感できる遺跡です。大国主かその兄弟か、少彦名命などがこの辺りにいたと思いますし、葦原中国のクニであることは間違いないでしょう。古代史ファン必見の遺跡。青谷上寺地遺跡から出た人の復元展示等も面白いです。
| 名前 |
妻木晩田遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0859-37-4000 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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もう十回程訪れましたが、本当に良い弥生時代の遺跡です。復元された住居や、四隅吐出型墳丘墓。そして四隅突出型墳丘墓の原型といえる方形貼石墓もあります。出土品も展示されており、見学はどれも無料。そしてとても親切で分かりやすい学芸員さんの解説。ロケーションも最高で、何度行っても良い史跡公園です。