戦国の歴史を感じる八橋城跡!
八橋城跡の特徴
琴浦町指定の八橋城跡は、戦国時代の歴史を感じる場所です。
毛利氏と尼子氏が戦った重要な戦場の名残があります。
東伯耆の要衝として、今も多くの歴史ファンが訪れます。
山陰本線により分断された城跡当時は本丸、二の丸に大手をかまえ周囲に堀を巡らせていた立派なお城だったそう。広島の三原城、三重の羽津城跡といい、お城はいらないと言われた時代のお城は無残な物です。
2014年に行った八橋城跡。
琴浦町指定史跡八橋城跡戦国時代は毛利氏と尼子氏の戦乱の場となり東伯耆の要衝でした。慶長5年伯耆米子藩領主中村忠一(一忠)が入るが中村氏断絶後、美濃今尾より市橋長勝が2万3000石を領して城主となり、八橋城を近世城郭へと修築します。寛永9年鳥取藩池田光仲が因幡伯耆を領すると重臣津田元匡を八橋城に据え、城址に陣屋を構え明治に至ります。現在城跡はJR山陰本線八橋駅のすぐ横にあり、城跡は線路によって二分され主郭部には石垣がわずかに残っています。#城 #お城 #城郭 #城跡 #城巡り#鳥取県 #琴浦町 #八橋城。
城跡を鉄道により分断されている。石垣があるようだが気が付かなかった。
JR山陰線により城址は分断されてしまい、かろうじて曲輪が2つ残っています。本丸にはこの城址とは関係のないバカでかい碑が建っている。石垣も残っているようですが時期が悪かったか草木をどかしてようやく見ることが出来ました。
名前 |
八橋城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
2.9 |
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もう少し整備して琴浦町が観光資源として情報発信すれば良いかと思います!