四釜の草原と歴史探訪。
源氏舘跡の特徴
訪れると源頼信・義家墓所の歴史を感じられます。
草原が広がる中で静かなひとときを過ごせます。
碑だけが残る源氏舘跡の神秘的な雰囲気が魅力です。
私の氏は「四釜」と申します。「大崎」の次男・・・分家です。「大崎」は、今の宮城県と岩手県を担当した「奥州探題」であり、「羽州探題」は次男の「最上」・・・「大崎」の前は「斯波」・・・岩手県紫波町の「高水寺城」を拠点としておりました・・・「斯波」は「足利」の分家でして、「河内源氏」「清和源氏」の子孫となります・・・そのような御縁から「平泉・中尊寺・毛越寺」と「山寺・立石寺」には、月に一度は「納経」に行ける年齢となりましたが、「源氏の郷」には、今回初めての参拝となりまして、とても良い時間を頂きました。奥州、羽州での「前九年の役」「後三年の役」に、この地から出発したのかと思うと、感慨深いものがありました・・・その以前「坂上田村麻呂」と「阿弖流為・母禮」との関係も、田村麻呂の娘(春子)が、50代・桓武天皇に入内・・・その子孫が、清和源氏の祖となることなど・・・・岩手には、その他に、藤原一族の滅亡に関わる「義経」と「頼朝」の戦いがあり、「奥州四大の戦」に関わっている事に、その歴史を感じて、それぞれの場所で「納経」を終えて、バイクに戻った時・・・軽自動車の「花屋さん」が、お地蔵様のお花を取り換えていらして、声をかけましたら「この地区には、月に一度ほど商売で来ておりますので、お地蔵様の花を・・・お礼のつもりで・・・」と、おっしゃっておられました・・・。今でも、多くの方々に支えて頂いております事に、感謝です。今回は、京都の桓武天皇の母上の墓陵にも、参拝することが出来ました。
河内源氏棟梁初代の源頼信が居館を構えたのは河内国古市郡壺井里の香呂峯で現壺井八幡宮あたりとのこと。ではこの石碑はなんぞや?ただ居館が峯と高台にありそこから望むようにこの辺り一帯が広がり、この石碑の隣地に通法寺跡があり、活動圏の範疇ではありそう。
碑は建っていますが草原が残っているだけでどのような建物があったのは想像出来ませんが右に登ると源頼信・義家墓所、左へ行くと通法寺跡・源頼義墓所になります。
| 名前 |
源氏舘跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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今は特に何も残ってないですが、ここなのかー!と感慨深かったです。意外に、高い土地に住んでなく、回りが囲まれた様な場所なんだーと思いました。