九之介橋を見ながら散策。
九之助橋碑の特徴
東横堀川沿いに位置し、散策にも最適な場所です。
九之介橋を顕彰する特別な記念碑が魅力です。
風情ある景観が楽しめる、静かな散歩スポットです。
東横堀川沿いを歩いていて見つけた。有名な名前の橋も色々あったが、ここだけ、碑が立っていた。それだけ、なにか由緒があるものかと思う。「九之助橋の架かる東横堀川は、大阪城外堀として秀吉により、天正13年(1585年)に開削されたものと言われている。江戸時代初期の慶安~万治年間(1648-1660)の絵図には、すでに九ノ介橋として記録されていることから、最初の橋は東横堀川の開削後しばらく後に架けられたものと考えられる。橋名は、何らかの関係者の人名につながりそうに思えるがその由来は不明である。」以上「九之助橋」碑に架かれていた内容の一部。住友家の銅吹所などが近くにあったとも書いてあった。このあたりは真西に玉造などがあり、一つ北の橋は長堀通りが通る末吉橋がある。
| 名前 |
九之助橋碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
東横堀川に架かる九之介橋を顕彰するために、大阪市が建てた碑。豊臣秀吉が開削築造した東横堀川の完成後、しばらくして架けられた橋という。大正15年までは木橋だったが、同年に永久橋(つまり、鋼・コンクリートを用いた近代的な設計の橋)に架け替えられた。なお、碑には大正15年当時の設計図も記されている。東横堀川に架かる橋は、豊臣時代に遡る由緒のある橋が多く、殆どが大正~昭和初期に永久橋化されている。その後、殆どの橋が平成年代に改修されたが、その際、橋脚・橋台、高欄及び親柱、高欄灯等の形状について、大正~昭和初期のころの姿を残すような改修設計が実施されたようである。頭上を圧する阪神高速道路高架橋の存在を受け入れさえすれば、その影に架かるこれらの橋も、いつもとは違う姿に見えたような気がした。目の良いGoogle Lens助手の助けを借りて読みとった全文を、以下に記す。//--------九之助橋九之助橋の架かる東横堀川は、大坂城外堀として豊臣秀吉により、天正13年(1585年)に開削されたものといわれている。江戸時代初期の慶安~万治年間(1648年~1660年)の絵図には既に九ノ介橋として記載されていることから、最初の橋は東横堀川の開削後しばらくのちに架橋されたものと考えられる。橋名は、何らかの関係者の人名につながりそうに思えるが、その由来は不明である。本橋の西詰北側には、住友家の銅吹所(銅の精錬所)があり、鋳物屋・鍛治屋などの工業の町であった。対岸の東詰は、幕府御用瓦師寺島家の請地で多くの瓦ふき職人や瓦仲仕が住んでいた。木橋であった九之助橋は第1次都市計画事業により、大正15年(1926年)上路アーチ形式の永久橋に架け換え、今回の改修ではアーチ形式や御影石積みの親柱など旧来の景観を保全するよう配慮し、また照明灯は大正15年当時のものをモチーフとしてデザインした。平成4年(1992年)2月 大阪市。