足利尊氏ゆかりの安国寺、歴史を感じる。
備前国安国寺跡の特徴
足利尊氏創設の歴史深い由緒ある寺院です。
無住の寺で静寂を感じる穏やかな場所です。
北方の医光院飛地境内に位置する神秘的なスポットです。
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足利尊氏が全国に建立した安国寺で、備前国はこの地に建てられました。
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| 名前 |
備前国安国寺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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鉄の青雲山安国寺地蔵院は今は無住の寺で北方の医光院飛地境内となっているが、足利尊氏によって創設された備前安国寺に由来する由緒ある寺である。足利尊氏は夢想国師の勧めによって、元弘・建武以来の戦いによって国を乱したことをざんげし、全国六十六ケ国にそれぞれ寺院を建立した。この寺を安国寺と称え、宗教の力を借りて民心の鎮撫(民を安心させるを図ったものである。安国寺は必要に応じて軍隊の屯営地となり軍略上の役目をも果たした。1350年頃、高師直の部下の薬師寺公義が足利尊氏の命を承けて古都庄内鉄の地に建立したものである。開基(かいき:寺院を創立すること)は大覚禅師(だいがくぜんじ)の法孫仏燈禅師(ほうそんぶっとうぜんじ)の高弟霊叟和尚(れいそうおしょう)といわれる。備前守護赤松氏は深く尊崇(そんすう:心から敬うこと)し保護を加えていたが、応仁の乱以来相次ぐ戦火によって 1500年頃焼失した。寺の住僧は再建に努力したが、当時の戦乱時代には有力武将の援助も受けることができずむなしく荒廃してしまった。江戸時代の初め眠室宗安禅師は寺の再建に努力し、一万部に近い経典読経の供養を成し遂げ、これを記念して寺の南に通過する山陽道のほとりに建立した経塔は今も現存し、その傍には門柱の礎石が残っている。