家康を救った夏目次郎の碑。
夏目次郎左衛門吉信旌忠碑の特徴
徳川家康を救った夏目吉信の慰霊碑がある場所です。
三方ケ原の戦いに関する歴史を感じられる史跡です。
家康の家臣として命を落とした武将の碑が存在しています。
大通り沿いに碑があります。家康を逃がす為、身代わりとなってこの辺りで討死したとのことですが立地を考えますと浜松城はすぐそこ。結構追い込まれたんだなぁと。逆にここまで攻めてきたのに何故に信玄は一気に滅ぼさなかったんだろう?わざわざ滅ぼす必要もないと先を目指したと言われますが実はもうこの頃、体調が悪かったのかなぁとか遠いあの時代に思いを馳せたのでした。
夏目次郎左衛門吉信の碑三方ヶ原の戦いの際、主君徳川家康の身代わりとなって討死にしたとされる夏目吉信の忠節を讃える碑です夏目次郎左衛門吉信旌忠碑題字は 公爵徳川家達(とくがわいえさと)御三卿の田安徳川家第7代当主、徳川慶喜謹慎後の1868年(慶応4年)に徳川宗家第16代当主、のちに第4代~第8代までの貴族院議長。
地図と実際の碑のある場所が違うような気がします。国道257号沿い、遠鉄バス下り「さいが崖」バス停目の前です。
夏目治郎左衛門吉信旌忠碑所在地 浜松市中区13訪問日 2023/9/13夏目吉信は、1563年(永禄6年)の三河一向一揆の時に捕らえられ処刑されるところを、徳川家康公の寛大な処置により助けられました。以来この恩義を忘れることが無かった吉信は、三方ヶ原の戦いの際、主君家康公の身代わりとなって敵陣の前に立ちはだかり、討死したといわれます。
三方ケ原の戦いで、徳川家康を逃がすために亡くなった夏目吉信の慰霊碑です。ここで亡くなったわけではないと思います。確かこれは徳川家16代当主、徳川家達さんによって整備されたのものだったと思います。家達さんは、この辺の慰霊碑の多くを建てられたと思います。
☆家康が『信誉徹忠』の号を与えし夏目次郎左衛門、岡崎の「法蔵寺」墓所は家康が建立🤔1563年(永禄6年)『三河一向一揆』に加担し家康に敵対、一揆収束後、松平伊忠(深溝松平家/松平家忠の父、長篠の戦いで討死)などの嘆願あり、家康に帰参を許され復帰😓1573年(元亀3年)『三方ヶ原の戦い』、浜松城留守居、徳川勢敗色濃厚を察し、浜松城を出撃し徳川家康救援に、三河一向一揆帰参の恩義ある家康を浜松城へ逃がし、追手の武田騎馬隊に25騎で突入し奮戦、身代わりになり戦死、享年55😢☆犀ヶ崖古戦場の姫街道の直ぐ北側に石碑、姫街道の北に三方ヶ原・南に浜松城あり🐎
犀ケ崖から北に50メートル程進んだ左手にある大きな碑です。犀ケ崖資料館へ行かれた際には、直ぐ近くにあるので是非行ってみてください。
バス停前にありますので、駐車は出来ない。近くの犀ヶ崖資料館に駐車場があるので、そちらを利用しました。(駐車場は17時まで)
浜松は、徳川家康29才から45才まで17年間を過ごしていた居城でしたので、数々の逸話も残っています。その中でも、家康唯一の惨敗と言われてる三方ヶ原の戦いが一番有名でしょう。敗走してきた家康の身代わりとなり、討死した夏目吉伸の忠義を讃えた碑です。大きくて立派な碑です。夏目吉伸は夏目漱石の祖先と言われています。
| 名前 |
夏目次郎左衛門吉信旌忠碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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夏目次郎の碑。詳細は他の投稿見ていただければ、犀ヵ崖古戦場の後に因んで本多忠真と併せて祀られているのですね。この辺りは浜松時代の家康巡礼が出来るコースの ひとつみたいです、