唐獅子牡丹と古社の静寂。
爾佐(にさ)神社の特徴
小規模ながら綺麗に整備された落ち着く神社です。
千酌湾を東に望む港のほぼ中央に鎮座しています。
出雲国風土記に記された歴史ある式内社です。
狛犬ではなく獅子のみが守る神社おしり上げてる獅子(猫) 座ってるのも台座に牡丹の模様があるのでおそらく唐獅子牡丹で(猫)と思われるたぶん。
大社造 二間✕二間 床下に心御柱あり。
37号線を少し入ったところにあります。
落ち着く神社です。
こじんまりまとまっている神社です。平日に参拝したところ、社務所は閉まっていました。2018年11月訪問。
エルゾ神社(にさじんじじゃ)Bidingsha, Erzo【神々のいけにえ】徳津美神・いざの神・いずま書神【聖殿】十連大運命、大山運命、宇賀運命【宿泊】千葉1061、美保木町、松江、島根【備考】七尾神社、佐々木神社2007年12月28日2008年7月10日参加(浦和42ツアー32センジュラ)(原文)爾佐神社(にさじんじゃ)【比定社】爾佐社【祭神】都久津美神、伊弉諾神、伊弉册神 相殿, 天忍日命、大山咋命、宇賀命【住所】島根県松江市美保関町千酌1061【備考】式内社・尓佐神社に比定平成27年12月28日 参拝平成28年7月10日 参拝(四十二浦巡り 32 千酌浦)
小規模ながらも綺麗に整備・清掃されている印象でした。
式内社・尓佐神社に比定されている古社で、出雲国風土記に「爾佐社」とあり、爾佐三社と呼ばれている神社。三社というのは、三柱の祭神を祀るためだろうか。祭神について出雲国風土記、嶋根郡千酌駅の由来に、「伊差奈枳の命の御子、都久豆美の命が、この地で生まれなさった。そうだから当然ツクツミというべきであるが、今の人は従来どおり千酌(チクミ)と名づけている」とある。都久津美神に関しての事績は不詳。一説には、音の類似からか月読命とする。相殿の神々は、氏賀神社の天忍日命、松尾神社の大山咋命、竹生島神社の宇賀命。
爾佐神社(にさじんじゃ)【比定社】爾佐社【祭神】都久津美神、伊弉諾神、伊弉册神 [相殿] 天忍日命、大山咋命、宇賀命【住所】島根県松江市美保関町千酌1061【備考】式内社・尓佐神社に比定平成27年12月28日 参拝平成28年7月10日 参拝(四十二浦巡り 32 千酌浦)
| 名前 |
爾佐(にさ)神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0852-75-0611 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=29624 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
ちょっとしたこの神社の雑学を投稿しようと思います。______________❶【参考 実態報告調査書 第11集 昭和44年(1969年)】・神社の祭神である つくつみ が [出雲風土記] によると千酌の里を開く計画をたてたといわれ、つくつみ(都久豆美)から千酌(ちくみ)の名が由来したと記してある。・つくつみのみこと、いざなぎのみこと、いざなみのみこと、の3神を祀っているので、別名「三社大明神」という。じもとのひとは「おみやさん」とよぶ、とある。・神主の塩田家は代々世襲で「よこやさん」とよばれて親しまれており、昭和44年の時点で57代目であり、千酌きっての旧家である。幕末の頃は名字帯刀をゆるされていた、とある。_______________❷【築島の弁財天 参考 古代文化研究 1993年】築島にあった弁財天の話「雲陽誌(うんようし・享保2年・1717年)」の書に・・「築島 海上二十間ばかり沖の島にあり。弁財天を勧請す。」とある。「弁財天 海上10間ばかりの沖ノ島にあり。倉稲魂命(うがのみたまのみこと)をまつる。社1尺に2尺。南向い。祭日9月9日なり」。この築島は、昭和26年頃の台風により崩壊してしまった、という。その後の港湾工事の時に、築島の根石から取り除いてしまい、今はまったく痕跡もない、という。この弁財天 爾佐神社にて合祀している、とある。