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旧綾上町役場の北側の小高い丘があり通称城山(標高105m)と云います。この丘の南斜面の中腹に城山神社が鎮座しており、そこから望むと町の中央を貫く綾川と綾上盆地を見渡せます。神社へと登る石段はかなりの急角度で続き、本殿のある境内は中腹の斜面を削平した平坦地を造られています。その広さは約700平米ありました。(近年拝殿、本殿改築工事に伴い境内を削平しかなり広く成っています。)この境内から3m程下がった所に現在0.8m程の水路が設けられ境内の南側を取り囲んでいます。その外側には1m幅の通路が設けられています。さらに3m 程下がると200平米位の畑があります。南側は5m程下の竹藪に向かって崖状に成っています。このように伊賀城は都合四段の半円状の平坦地があるが、その他の遺構は見当たらない。備前国の住人伊賀掃部助高光は讃岐国守護細川頼之と共に南朝の細川相模守清氏との高屋合戦(白峰合戦)において清氏の首級を討ち取った武功により城持ちと成った。伊賀氏は細川家の属城としてこの地を領した。近年の改築工事で境内はかなり変わってしまいましたが、境内下部は昔の名残りがあります。この文章は綾上町史を参考に書きました。