奈良時代の銅山跡、瀧ノ下探索!
奈良時代の銅山跡です。ここで採掘され製錬された銅が「和同開珎」になったり、奈良まで運ばれて「奈良の大仏」になったりしました。「奈良登り」→「ならのぼり」→「ながのぼり」→「長登」と変化していき、長登という地名ができたそうです。長登で採掘、製錬された銅は、馬で小郡あたりの港まで運び、船で瀬戸内海を航行し、大坂から淀川を遡って奈良まで運搬しました。20日ほどかかったそうです。奈良の大仏は、平安時代末期と戦国時代に2回も戦火にあっていますが、大仏様のひざから下と蓮華座は聖武天皇の発案で造られた奈良時代当時のものが残っているそうです。大仏様は「長登の銅」、大仏殿は「徳地の木材」(戦国時代に燃えた)で出来ていたのです。山口県ってすごい!ちょっと鼻高です。
名前 |
古代長登銅山跡(大切4号坑) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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瀧ノ下大切山四号坑 この瀧ノ下の斜面には、幾つもの立坑・斜坑 が坑口を開けています。坑内は、いずれも内部 でつながっていて、鐘乳洞の様相を呈している 坑道もありますが、鐘乳石の古さより、古代に さかのぼるものといえます。この四号坑は、大正年間に坑口附近が採掘されていますので、入口附近には簡単に入ること ができ、昭和六十三年にテレビで放映されたの もこの坑道です。坑内の壁には緑色の緑青が吹いており、鐘乳石もありますが、坑内は複雑で 立坑もあり、非常に危険ですので、坑道の奥には立入らないで下さい。