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名前 |
安倍川治水の足跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
今の静岡市(葵区と駿河区)があるのは、徳川家康の大御所時代に「天下普請」として安倍川の流れ変えることができたからです。当時の安倍川は、浅間神社の辺りで新川や稲川などの川に分かれ今の静岡市街地を湿地帯(扇状地)として人を寄せ付けませんでした。また、宮ケ崎からは北川という麻機沼経由で巴川となって清水に流れ込んでいました。安倍川の東が安東、西が安西ですから、これをみても今の安倍川が安西より西にあることは「あれっ」と気づくはずです。そんな安倍川を全国各藩(特に薩摩の島津)を動員して作らせたのが薩摩土手で、この土手により安倍川の水流は藁科川の本流に合流させて今の流れとなり、それまで人がいなかった平野部に人が住めるようになったのです。そんな歴史がわかりやすく説明されていますので、ぜひとも多くの人に足を運んでほしいです。