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説明書よりーーー瀬織戸の渡し跡室町時代大永年間の頃まで三保半島は島となっており、駒越と浅瀬の海で隔てられていて、その浅瀬を渡し船で渡ったという。この渡しは別名(有渡の渡し)ともいわれており、柿本人麻呂は「千早ぶる、有渡の渡りの早きせに、逢すありとも後にわが妻」(670年頃)と詠んでいる。