平安京の歴史、銭座場跡!
崇仁の名の由来と銭座場跡の碑の特徴
八条須原北西角に位置する歴史的な目印となる碑です。
道路の角には詳しい案内板も設置されています。
平安京の条坊制に触れられる貴重な場所です。
この地の由来、成り立ちが記された碑!角にひっそり立っています。
道路の角に詳しい案内板があります。
かつて平安京は条坊制が施されていた。このあたり八条通あたりは、祟仁坊(すじんぼう)の四区のあたりになる。今の京都の街は秀吉のころに大きく区画整備された。当時とは大きく変わったはず。当時をしのばせるものは当然ない。銭座場跡は、JR線の北側の河原町通近くにもある。銭座はJR線北側にある銭座場跡より南の東之町と西之町にあったようだ。「祟仁の名の由来と銭座場跡の碑」のある場所がちょうど東之町の南東端あたりにある。銭座は銅銭を鋳造していた。元禄11年(1698年)に設置された。宝永4年(1707年)から宝永通宝を鋳造したようだ。宝永6年(1709年)に停止され、鋳造所としての歴史を閉じた。のちに銭座跡村となったようだ。
名前 |
崇仁の名の由来と銭座場跡の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/si060.html |
評価 |
3.4 |
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八条須原北西角にあるのが「崇仁の名の由来と銭座場跡の碑」になります。このあたりの地名の由来がされています。銭座場跡の説明がされていますが、柳原銀行記念資料館前にも「銭座場跡」の石碑があります。