津山城の象徴、感動の復元櫓。
備中櫓の特徴
明治の廃城令後に復元された備中櫓は独特の美しさを持ちます。
復元された櫓内部には珍しい縁側があり、屋敷の雰囲気が漂っています。
津山城の石垣と櫓の共演は、その景観美に圧倒されます。
平成17年に再建された櫓です。出来るだけ当時のままに再建されたようです。中は新築という感じが残ってるくらい綺麗です。こちらで御城印など購入出来ます。
2004年に復元されたものですが、建造物が何も残っていない津山城唯一の建造物であり、現在の津山城の象徴的な建物です。復元物ではありますが、可能な限り当時の工法を使って建てられたものであり、細部までこだわって建てられたそうです。かつて見た津山城は建造物が何も無い石垣だけの城だったので、今回備中櫓が建つ津山城を見て新鮮な気持ちになりました。城下からも非常に目立つ物ですし、復元されて良かったと感じました。夜間はライトアップされていました。
津山城の象徴的な建造物として、2005年に再建されたそうです。日本100名城のスタンプが設置してます。外見だけでなく中もしっかりと和室で再現されており見応えがありました。
完成度の高い復元櫓だと思いました。2005年に完成したものらしく、十数年の日差しや雨風により、石垣はいい感じの色合いになってきています。まだまだですが。三十年ほど前に訪問したときは、ロケーションは素晴らしいものの、見るべき遺構は石垣以外に少なく、訪れる人もまばらでした。備中櫓は、津山城の魅力をグッと引き上げていると思います。
桜の季節に訪問。東日本にはないタイプの桜の絶景。本当におすすめです。
明治の廃城令によってお城の建造物はすべて取り壊されましたが、2005年に築城400周年を記念して備中櫓が復元されています。2階建てで中に入る事が出来、中では御城印なども販売されています。
「津山城」を見てきた。「日本100名城」に認定されている津山城は想像以上に大きく、地上から45mに及ぶ立派な石垣は立派だった。津山城は本能寺の変で織田信長と共に最期を遂げた森蘭丸の弟、忠政が築城した城で、別名 鶴山城(かくざんじょう)。築城に約13年かけたらしく、城は五層五階、地下一階の天守と70以上の櫓、それらを取り巻く石垣や堀など、美作国(みまさか)国主としての威信を誇る巨大な城だった。70以上の櫓は姫路城や広島城より多い櫓の数だそうだ。明治6年(1873)の廃城令を受け、天守その他の建物は全て取り壊され石垣のみが残された。昭和38年(1963)に国の重要文化財の指定を受け、2005年には築城400周年を記念して備中櫓が復元された。備中櫓は白漆喰を美しく塗込められ、城を取り巻く高石垣と共に絶好の被写体となっており、津山城のシンボルとなっている。ちなみに、忠政の女婿 池田備中守長幸の訪城にちなみ「備中櫓」と名がついたそうだ。
作州津山十八万六千石です森忠政像があります。森蘭丸の弟みたいです天守はありませんが、ハートの石があります。
櫓なのに縁側があったり中が屋敷っぽくなってる珍しい櫓。どうやら本丸御殿の一部として利用されていたらしい。
| 名前 |
備中櫓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0868-22-4572 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 9:00~16:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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平成に復元された津山城最大の櫓です👍建物は御殿の一部としても機能しており、全て畳敷き・竿縁天井になってますね。2階には上段の間があり、ここは格天井となってます。ここまで格式の高い櫓はここだけではないでしょうか?姫路城の化粧櫓より凄い造りですね😃