東屋から見る桜の絶景。
天神山城跡の特徴
東屋から望む桜の美しさが印象的で、多くの花見客で賑わっている場所です。
かつて因幡の中心地として栄えた歴史を感じる井戸跡や空堀跡が見どころです。
散策道が整備されていて、楽に山頂まで歩けるので初心者にも優しい環境です。
鳥取緑風高校の裏山。高校の敷地とお城の散策路の境界線は適当なので、簡単に高校の中に侵入できてしまうが、まあ今までこれで何とかなっているのだろう。城の遺構はわずかに井戸と掘割、櫓台ぽいもののみ。大正時代の五輪塔が端っこにある。あっという間に登れるけど、かつて因幡の中心だったような面影は感じられなかった。
東屋からの眺めはいいですよ😀桜がとても綺麗に咲いてて町内の方や遠方から花見を楽しんでいました😀
かつては因幡の中心地だった場所であり、今では井戸跡や空堀跡を見ることができます。山頂にある東屋からは湖山池が眺望でき、池を背にした要害であったことが伺えます。
先達の田中正典さんのコメントは秀逸なので皆さん読んでほしいです。自分自身の感想ですが、今残されている遺構部分は小さいながら、ほぼ垂直な断崖に囲まれ割と堅固な城に思われました。また、東屋からの湖山池の景色もよく湖山池八景(夕日の部)にも選ばれてるほどです。(ここだけでは物足りず直後に行った防己お嬢の看板で知りました))ホント、田中さんがすべて語りつくしててほかに書くことが思いつきません。
東屋からの眺めはいいですよ😀
中学生のとき訪れた。当時、城跡に隣接しているのは農業高校だったが、そこに一言断ってから登った。といっても古墳のような丘なのですぐ登れた。実際、古代の古墳を利用したそうである。遺構などはよく分からなかった。
高校の裏手より登りました。それなりに遺構も感じました。簡単に登れます、
15世紀、南北朝時代は天下を二分する動乱期でした。ここ因幡の守護職はこの地に置かれました。お隣の但馬の守護職山名氏と同族でありながら争いを始めます。 文正元年(1466年)因幡の守護職山名勝豊は「天神山城」を築き上げました。国の守りを固めるため三重の櫓の天守閣やしっかりとした城下町をこしらえました。 この間様々な下剋上の争いを経て107年が経過し、天正元年(1573年)山名豊国はこの城を廃止し、久松山鳥取城へ移りました。[鳥取城は天文14年(1545年)但馬の本家との争いの渦中、天神山城の「出城」として築かれていて、ここ天神山城から久松山山頂が見えていた]豊臣秀吉による鳥取城攻めは9年後に迫ります。
僅かばかり遺構が残るのみ…。
| 名前 |
天神山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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戦国時代に布勢天神山は鳥取城ができるまで因幡の政治が中心となる天神山城として60年近く栄えた場所である。