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内宮社は吉備津五所大明神の一社で祭神は吉備津神社正宮の祭神大吉備津彦命の妃 百田弓矢比売命。内宮社は白河法皇の梁塵秘抄に「新宮、本宮、内の宮」と記されるように、その神威は都まで届いていた。ところが神社合祀により明治43年3月16日、摂社本宮社(正宮から続く回廊先に鎮座)に新宮社ともども合祀され、鳥居建物等も全て破却。跡地や参道は山に埋もれてしまった。現地には「吉備津神社攝社内宮社舊趾」の碑が建てられ、わずかに瓦も散乱しているが訪れる者は少ない。取壊されたのは吉備津神社文書にある元禄3年上棟、遷宮の社殿で明治4年の記録に「瓦葺高八尺三寸桁八尺七寸梁九尺五寸此地二坪三合」とあるものと思われる。江戸時代の絵図には社殿を囲むように11個の環状列石(内宮石)が描かれているが、現在碑の向かって左側に2個、碑の正面にある大小3個の石は、この内宮石を転用したものかもしれない。