日本海側最大級 古代の神秘体験。
神明山古墳の特徴
神明山古墳は墳丘長190mの前方後円墳です。
竹野神社参道から近く、アクセスが便利です。
4世紀後半の古代王権の象徴で、歴史的価値が高いです。
古代では入り江になり沢山の人々が住んでいたのでしょうか?
日本海側で最大級の前方後円墳です。竹野神社側に登り口があり、前方部を上り後円部の頂上に立つことができます。そこからは、日本海を望むことができます。葺石に覆われていたとのことなので、かつては潟湖であり港湾として機能したであろう竹野川河口部からは、壮大な古墳の姿が見られたのではないでしょうか。
竹野神社参道を歩いていると右側に表示と手摺があり直ぐに分かりますし距離も250mと右側全体が「古墳」と思われる近さでした。前方後円墳の丸い場所に石碑と綺麗に雑草が刈り取られていて迷うこともなくきれいに整備されていて、地元の方々が大切に保存管理背れていることが伝わります。曇っていたので「青い海」は観れませんでしたが大成古墳群も車で5分もかからない場所にあることを思えば・・・・「丹後大国」がまさに「大国」であったことを物語り朝鮮半島との往来も「命懸け」で渡ってくるだけの価値があったのでしょう。土器や形あるものが出土するが言葉(書物)が残ってないのが残念でなりません。ただ、1500年以上前から人が住んでいたことが大切なんですね。
竹野神社、資料館まで来てたのに気付かず通過してしまった。アカン!このままではいけない。また来るぞ! 反省。
竹野神社の横から登っていけます。どこからどこまでが古墳なのかわかりにくいところもありますが、時代的にも役割的にも、能登の雨の宮古墳群を彷彿とさせます。古代の丹後王国の時代、竹野川流域の各所が阿蘇海へと抜ける重要な物流戦略拠点だったことを伺うことができます。
けっこう楽に上がれますスマホで12階分?
神明山古墳(しんめいやまこふん)墳丘長190mの前方後円墳、築造時期は4世紀末~5世紀初頭と推定。国指定史跡。古墳へは竹野神社の脇道から登ることができる。古代の海岸線と平行に築造されており、海上からは古墳一面に張られた葺石を目印に港が確認できたはずで、当時は一種のランドマーク的な役割があったのかもしれない。以下、解説板より。「この古墳は全長180mをこえる丹後地方では最大級の前方後円墳です。 竹野川流域の平野や、遠く日本海を見下ろす丘の上に築かれたこの古墳は、今から約1600年前にこの地方を支配していた豪族の墓です。 古墳には埴輪が並べられ、斜面は葺石と呼ばれる河原石で飾られていました。 竪穴式石室と呼ばれる死者を埋葬した部分はすでに破壊されていますが、 碧玉製の盒子など当時の豪族の権力を示すような遺物が出土しています。 この古墳は大正12年3月7日、史跡に指定されました。」
古代においてこの地方を統治した王権の権威の象徴。支配下の領民にもだが、目の前の竹野潟の港にやってきた、朝鮮半島や大陸からの渡来人たちに見せつける意味があったと思う。墳墓の上で古代の港の風景を想像するのも楽しい。
日本海で最大1級の古墳。
名前 |
神明山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.city.kyotango.lg.jp/top/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/3/1/2/3302.html |
評価 |
3.8 |
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古墳時代前期後半(4世紀後半)の前方後円墳で墳丘長190m、後円部129m、網野銚子山古墳に次ぐ日本海側最大級の前方後円墳です。国指定史跡。葺き石と丹後型円筒埴輪列をもつ三段築成で、墳頂部には石材が散らばっており、竪穴式石室が築かれている可能性があります。丹後一帯を支配した豪族の墓と推測され、出土品は近隣にある「古代の里資料館」に展示されています。