志賀郷七不思議と自然の調和。
篠田神社の特徴
志賀郷七不思議伝説に絡む神社で不思議体験が可能です。
京都府綾部市の府道494号沿いに位置しアクセスが便利です。
贅沢な自然に囲まれた心安らぐ雰囲気を持つ神社です。
志賀郷七不思議伝説ゆかりの神社。他の神社のように植物にまつわる奇瑞が起こったのだが、それが「筍」。いまもそれに関する神事が節分の頃に行われていて、神社本殿の裏に竹林があり、神域として大切にされている。
自然が贅沢。奥社もあり、タケノコが祀られタケノコさんと言うらしい。雰囲気のある神社。
なかなか良い雰囲気の神社です。
名前 |
篠田神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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篠田神社(しのだじんじゃ)は京都府綾部市篠田町宮ノ下の府道494号沿いに鎮座する神社です。ご祭神大国主神(おおくにぬしのかみ)旧社格 村社延喜式神名帳にある、何鹿郡12座の式内社(小社)のひとつ阿須々伎神社の論社広い境内は、地元住民の方々から大切にされているようで、綺麗に整理されており、鳥居、灯篭、案内板、手水舎、社務所、狛犬、拝殿、覆屋、本殿、幣殿、瑞垣、境内社などがあります。鳥居は神明鳥居で「篠田神社」と記された石の扁額がかかっています。境内社は、社殿右手に春日明神、天照皇大神宮、愛宕護神社、廣嶺神社が並んでおり、境内左手に八幡宮がある。京都府指定文化財に指定されている室町時代の建物と伝わる本殿の背後には瑞垣があり、内には篠竹が生い茂っております。この瑞垣に生えた季節はずれの筍の出来具合で、その年の早稲・中稲・晩稲の出来栄えや作物の出来不出来を占うようです。下記は案内板を転記志賀の七不思議と「竹の子さん」の縁起その縁起今からおよそ一四〇〇年前の崇峻天皇の頃、大和朝廷は、国の中心勢力をかためるため、金丸親王を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになりました。すさまじい戦いに悪戦苦闘の末、ようやく丹波の国々を平定した金丸親王は、おおいに喜び、これ一重に神仏のおかげによもものと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈りました。また、志賀の里の〝藤浪〝〝金宮″〝若宮〝〝諏訪″〝白田(後の篠田の五つの社を厚く信仰されたということです。親王の子孫金里宰相は、この五社の大明神に千日参りをされ、これを記念して、藤波大明神には「藤」、金宮大明神には「茗荷」、若宮大明神には「萩」、諏訪大明神には「柿」、白田大明神には「竹」をお手植えされ、国家の安泰と子孫の繁栄を祈願され、このことを大和朝廷に報告されました。この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになったということです。なお、この五社のほかに、向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれ、これらをあわせ「志賀の七不思議」として、今に語りつがれています。その奇瑞 篠田神社=白田大明神の「竹の子さん」毎年、旧暦の正月四日になるとや日の出より八時までの間に、神殿裏の「御ミノシベ」と呼ばれる竹林から、竹の子が三本出るのです。これを神前に供え、その竹の子の出る場所、その育ち具合いから、その年の稲作の早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ)の吉・凶を占うのです。この神事は、今も、新暦の二月四日に「筍祭 祈願祭」として行われ、地元の人からは、〝タケノコさん〟として親しまれています。つい最近まで、氏子の人 数人が、三日間籠堂に泊まり、日に三度づつ、氷のように冷たい篠田川の水を浴び、行をとってきましたが今は取り止めになっています。是非、一度、節分の日にお詣りください。志賀郷公民館(2023/2/23撮影)