七戸城の空へ、散歩の旅!
史跡 七戸城跡(柏葉城跡)の特徴
七戸の街を一望できる高台に位置し、散歩コースに最適です。
国史跡として貴重な七戸城跡は、訪れる価値があります。
綺麗に手入れされており、心地よい散策を楽しめます。
七戸城唯一の建築物の遺構として青岩寺に城門が移築されているので、城跡には復元された東門が見どころとなるが、当時のものは堀の跡など地形がみられるだけです。本丸跡には神明宮があり、城跡は芝生がきれいな柏葉公園として利用されている。七戸城の御城印はJR七戸十和田駅にある観光交流センターで買うことができる。
南部氏史跡。2020年10月18日来訪。根城南部氏、第8代の南部政光により築城。南北朝時代には、根城と共に、南朝方の拠点として重きをなした。政光が甥の長経に家督を譲り、自身は七戸城に居を構え、七戸氏の祖となった。1591年の九戸政実の乱においては、七戸家国が九戸方に付き、政実と共に奥州仕置軍に抵抗したが、七戸城は上杉景勝により落城。九戸城に籠城した家国も、政実と共に降伏し、栗原郡三迫において処刑された。翌年七戸城は破却されたが、津軽氏に対する備えとして、七戸領を浅水城主南長義の三男、直勝に与え、七戸氏の名跡を継がせた。その後は代官所や藩庁が置かれ、要害屋敷として幕府から認定される等、南部藩の拠点として重要視された。七戸城は、台地の地形を利用し、本丸、二の丸、北館、北館、角館、西館、下館、宝泉館の七つの郭で構成されており、二の丸は柏葉公園として整備されている。敷地が広大で、堀等の遺構や、復元された東門等、見応え十分。本丸の神明宮は、築城した南部政光により創建されたもので、江戸時代には遠野南部氏の祈願所として厚く信仰された。
情報が少なかったので あまり期待はしていませんでしたがとても良かったです。七戸十和田駅の観光案内でもう少し把握してアピールしたら良いのでは?よくある事ですが案内する人が現地をよく知らない事が多いですね。
七戸の街を望む高台にあり、ちょっとした休憩場所もありました。落ち着いた雰囲気の史跡で散策にも適しています。
時間ある時に散歩したい。
散歩コースに最適かも!
国史跡。それ程広くは無いが、高低差あり堀もありと、お城らしさが感じられる。人が居なさすぎでガランとはしているが、適度な手入れは入っているように見えて、寂れたという感じはない。ただ城の周りの街並みは、衰退して憚らない地方の典型ではあるが。お城の一角にある七戸神明宮もなかなか立派な神社である。ただ遺憾せん周囲に何もなさ過ぎて、余程の城址巡りが好きな人を除くと、足を運ぶ価値を見出せるか否かは微妙。
6月下旬、初めて見学に来ました。東門は昔の雰囲気がありますね。入ってすぐの緑が豊かで綺麗です。丁度、花菖蒲が咲く時期でした。
2021年8月8日に見学しました。建武2年1335年にこの地を安堵されたのは、南部政長であり、戦国時代末期まで、彼の子孫が七戸南部氏として君臨しました。天正19年1591年「九戸政実の乱」において、七戸南部氏は、政実に味方したため、宗家である三戸南部氏と対立することになりました。奥州仕置で羽柴(豊臣)秀次軍に敗れ、七戸南部家は断絶しました。戦後処理として南部信直は、慶長2年1597年に南氏の血筋の七戸隼人正(はやとのしょう)直時を2千石で城主にしました。寛文4年1664年に城主であった重信が第29代盛岡藩主になったため、それ以後、盛岡藩の直轄地となりました。そのため、代官所となりました。
| 名前 |
史跡 七戸城跡(柏葉城跡) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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展望台から天王神社がキレイに見えます。