佐藤惣之助の足跡、川崎の魅力を発見!
佐藤惣之助の碑の特徴
佐藤惣之助の顕彰碑がある場所で、歴史を感じられます。
川崎出身の詩人・作詞家の功績を回顧できる記念碑です。
赤城の子守唄の作詞者として、多くの人に親しまれています。
佐藤惣之助(1890-1942)は詩人・作詞家。「赤城の子守唄」の作詞をしたのはこの人ですが、阪神ファンの私としては「六甲おろし」の通称で知られる「阪神タイガースの歌」(当時は「大阪タイガースの歌」)の作詞者というイメージです。ファンの間で歌い継がれる名曲「六甲おろし」の作詞者が川崎にゆかりがある人だとは知りませんでした。
佐藤惣之助の顕彰碑。説明文には生家は砂子の川崎塾の上本陣だったとあるが、微妙に離れたところにある。川崎市スポーツ文化総合センターに用事があるならついでに見るのも良いだろう。
川崎市体育館前の花壇の中に詩人・歌謡曲の作詞家として有名な佐藤惣之助の句碑があります。この句碑は、昭和30年(1955)に川崎市文化協会が武者小路実篤に『華やかな散歩』の一節を揮毫(きごう)してもらい建立したものです。惣之助は、明治23年(1890)に川崎市川崎区砂子で父佐藤慶次郎、母うめの次男として生まれました。佐藤家は、川崎宿の本陣職を代々務めていた家柄でしたが、惣之助が生まれたときは雑貨商を営んでいました。彼は、明治36年(1903)に川崎小学校高等科を修業した後、東京麻布の商家に丁稚(でっち)奉公にいきましたが、同39年にその店をやめ、暁星中学仏語専科に学びました。丁稚奉公をしていた12歳頃から作詞をおこなっていた惣之助は、大正5年(1916)に処女詩集『正義の兜』を、翌年には『狂へる歌』を出版するなど生涯に20数冊の詩集を執筆しています。初期の詩は、白樺派の人道主義やホイットマンの民衆詩の影響を受けているといわれていますが、彼の生来の自由闊達(かったつ)で楽天的な性向は『華やかな散歩』『季節の馬車』や沖縄旅行をしたときのことをまとめた『琉球諸島風物詩集』にもっともよくあらわれています。
有名な赤城の子守唄の作詞者が川崎の出身だったとは!
名前 |
佐藤惣之助の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
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何故、ここなのか。は少し興味がある点。生家跡とは別に記念碑を建立したかった。という理由だとは思うが。背面は風化が進んでおり、読めなかった。説明板を理由はこれだろう。武者小路実篤の揮毫は素朴で味わい深い。