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名前 |
風景谷の険 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
つい最近(2021年1月)の事である。死にかけの巨神兵の口から放たれた光線が樹木を薙ぎ払ったのか、今までに見たことの無い風景が、下り坂の途中から姿を現す様になった。(⁉)ここは、徳川家康より命を受けた佐倉藩藩主土井利勝によって建設された【御成街道】の一部分、【風景谷の険】と呼ばれる地点である。風景谷は「ふがさく」と読む。全長約40Kmに及ぶ御成街道の中の数ある難所の一つであるという。今まで薮樹木に埋もれていたが、伐採作業が行われたのか、向こう側の台地が露になる程見通しが良くなっている。教育委員会等が、学術調査・研究を計画しているのだろうか。道路のカーブの外側にある狭いゼブラゾーンに身を置いて、斜面の梺に取り付くと、写真を数枚撮影し、しばしその風景を眺めてみた。街道跡と思われる部分は、周囲の地面よりも深くなっており、露になったそれは、やや左に傾きながら進んでいる様である。見た感じでは、それほど難所の様には思えないが、それよりも西側から延びる現在の舗装道路の方が難所感は強いだろう。ロープが張られており、立ち入りは出来ないようだ。江戸時代当時の難所は、現在でも難所である。ここはマジで危険である(マジ:まじ・は江戸時代から使用されている言葉)。坂下の谷間で速度が出る所に狭い道路幅、更にはカーブも相まって非常に危険である。過去には〇亡事故も有った様である。教育委員会が建てた立看板は、物凄い所に在る。これに気付いたのは6~7年前頃であるが、どうしたものか、内容を確認することができない。今回意を決して看板へのアボルダージュを試みた。土止めのコンクリートウォールの上を歩き、看板の袂まで辿り着いた。よくこんな所に建てたものだ。道路の交通量は、土曜の朝7時前時点でまあまあ多い中、足元を乗用車が走り抜け、ほぼ同高さですれ違う大型ダンプの運転手の目は真ん丸である。土止めの上の棚状の部分は、道にはなっておらず、一部崩れている部分もあって非常に危険である。誤って路上に転落した所に、タイミング悪く自動車等が通過するものなら、九分九厘〇んでしまうだろう。土曜の夜明け間もない時間帯に、この交通量とは、日本人にとって完全週休二日制は未だ夢のまた夢である事を思い知る。此処への訪問は、絶対に避けた方がいいだろう。