都内珍品、庚申塔三基の魅力。
十七ヶ坂庚申塔の特徴
青面金剛の風化具合が独特で印象的です。
都内では珍しい大型の宝筺印塔型が見られます。
風化した庚申塔が歴史の深さを感じさせます。
鉄柵に囲まれた墓域の入り口に建立されており外から拝みます。向かって右側に塔婆型の石塔。一番上に刻まれた梵字は、馬頭観音の種字「ウーン」でしょうか。「奉造立庚申供養石塔」「明暦三丁酉年□月吉日」(1657年)。種字の彫りが力強いことに比べると、他の刻字は線刻で随分と繊細です。その左側の石塔は凝灰岩のため、かなり強い風化を受けていますが、左上に「天」、右中程に「縁」の文字が読み取れます。「縁」の下の文字が、かすかですが「法」の異体字「㳒」に見えなくもありません。もしそうだとしたら、「無縁法界」と刻まれていて、尊像は地蔵菩薩立像なのかも知れません。右奥に宝篋印塔(ほうきょういんとう)型の庚申塔。下部に「庚申供養」の文字。これを取り囲む様に「未来現世」「過去」「三世佛」。宝篋印塔は五輪塔と似ていて、どちらも仏舎利や経典を収めたストゥーパ(=卒塔婆の語源)の形を模していますが、五輪塔が、上から宝珠・半球・三角・球・四角(それぞれ空・風・火・水・地)と重ねていることに比べると、宝篋印塔は五重の塔のてっぺんに設置されているような先鋭的な形状です。案内板の説明によると、寛永三年(1626年)建立。面している道路は「庚申道」で、その名の通り庚申塔が集まっています。庚申道は、目黒不動(龍泉寺)から宿山へ向かう道だったようですが、宿山にある目的地とは龍泉寺の末寺である壽福寺だったのではないかと思います(私見です)。龍泉寺に参拝するなら、壽福寺にもお参りしないと片詣りになっちゃうよ、などといった話があったのかも知れません。
宝きょう印搭型、板碑、青面金剛かと思われる朽ちた搭があります。後方は墓所。
都内では珍しい大型の宝筺印塔型、板碑型の庚申塔など、3基の庚申塔がある。
| 名前 |
十七ヶ坂庚申塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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青面金剛は「ゆうれい地蔵」の如く激しく風化してしまっている。菅沼権之助は元禄の人とあったので、板碑型庚申塔の権之助が本人ならば若い頃の物なのだろう。