忠臣蔵ファン必見の史跡!
大石良雄等自刃の跡の碑の特徴
忠臣蔵ファン必見、静かな史跡の大石良雄自刃の跡の碑です。
大石良雄が預けられた細川邸周辺には歴史の足跡が残っています。
マンション裏に位置し、ひっそりとした雰囲気で訪れやすい場所にあります。
忠臣蔵の大石内蔵助の本名が大石良雄なんですね。まるで今の人の名前のようです。身長が157センチくらいで目が細く梅干しのような顔だと聞いたときは映画やドラマの演者の長谷川一夫とか片岡千恵蔵の印象が強いのでちょっとびっくりしました。介錯にはかなり苦労したようで何度も首骨に当たったとか。大声を出したとか。なかなか首が落ちなかったようです。享年45歳。切腹の際は震えていたという資料を読んだことがあります。切ない話です。
大石内蔵助ファンなら一度は行くべし✌️マンション裏にひっそりとあります☝️
大石内蔵良雄自刃の跡の碑は、港区高輪1-15-1
比較的小さな碑です。説明の看板等はありませんが、「ああ、ここで切腹したんだなあ」と歴史を感じました。
このあたり上皇さまがお住まいになる皇族邸や高松中学を含む周囲1.3キロくらいが江戸時代の細川邸で、仇討ちを果たした浪士のうち16名がお預けになった一か所。この碑から入っていくと切腹を果たしたという庭の跡が保存されています。
吉良邸討ち入りに成功した赤穂義士46名は4つの大名家に分けてお預けとなり、大石良雄は肥後熊本藩主細川綱利の屋敷に預けられました。そして、元禄16年(1703年)2月4日、4大名家に切腹の命令がもたらされました。
| 名前 |
大石良雄等自刃の跡の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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いきなり史跡が出てきてビックリしました。大石良雄=大石内蔵助江戸時間は細川家の大名屋敷でしたが今は都営アパートになっています。