代々木八幡宮の矢穴石、歴史を感じる。
八幡宮記念の碑の特徴
矢穴のある石が印象的で、訪れる人を魅了します。
代々木八幡宮境内で歴史を感じられる場所です。
手前にある案内板が親切に情報を提供しています。
手前に案内板あり。以下、書き起こす。なお、付近に力石三基と鉄製砲弾が安置されている。「八幡宮紀念の碑明治三十四年、拝殿の改築が成った際、建立された。顕額は府知事・千家尊福、撰文は神田明神祠官・平田盛胤、執筆は子爵・福羽美静(ただし、福羽病は高齢で病気がちであったため、門弟の野村伝四郎が代筆、裏面は義弟の福羽良曂)による。以下全文。これの處の底つ岩根に宮柱太しき建て 天津御空に千木高知り鎮り座します村社若宮八幡宮はしも順徳天皇の御宇建暦二年九月二十三日といふに この地に往せし荒井宗友の霊夢により勧請し奉りし大神なり そもこの宗友は頼家将軍に仕へし者の家人なりしかばそのかみ鎌倉に在りて鶴岡八幡宮は産土の神におはしまししより ここに退隠したる後も朝タの拝禮懈怠なかりき 然るに建暦二年八月十五日の夜 大神の御さとしによりて 寳珠の如き鏡を感得しければ 宗友の喜び限りなく 此の地の荊棘を披きて小祠を営み 同年九月二十三日始めて御祭を行ひにき これぞこの御社の起原にして毎年大祭を九月二十三日に行ふもこの故なりけり 後 徳川幕府の頃となりでは神仏混淆の底なりしかば別当を寳珠山福泉寺智明院と称し 社地六千坪ばかりなりしが 明治維新の後は五段五畝二十四歩と改定せられぬ」【私訳】この辺の底にある岩盤に太い宮柱を立て,あまつ空に千木を高知らせて鎮まり座します村社若宮八幡宮は,ご存じ順徳天皇のご治世,建暦二年九月二十三日,この地に住んでいた荒井宗友の霊夢をキッカケとして勧請された神様でございます。そもそも,この宗友は鎌倉第二代将軍源頼家に仕えていた者の従者でありましたが,当時鎌倉に居りましたころから鶴岡八幡宮が産土の神でございましたので,この辺りに隠居した後も,(鶴岡八幡宮の産土神に)朝夕の礼拝を怠ることがありませんでした。その結果,建暦二年八月十五日の夜,神様のお告げによりまして,宝珠の様な鏡を得ましたので,宗友はめちゃくちゃ喜んで,この地のトゲトゲの低木を切り開いて小祠を建て,同年九月二十三日にはじめておまつりを行いました。これこそが当社の起原であり,毎年大祭を九月二十三日に行う理由です。後,徳川幕府の治世には神仏混淆が進みましたので,別当を寳珠山福泉寺智明院と称して,社地は六千坪ほどありましたが,明治維新の後は五段五畝二十四歩に縮減されました。
代々木八幡宮境内にある記念碑。
名前 |
八幡宮記念の碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3466-2012 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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この碑の下に、矢穴のある石があります。何を作るために切り出したのかとても気になります。ご存知の方ご教示ください。