江戸時代の古道を歩こう。
百番巡礼供養塔の特徴
寛政12年に建立された由緒ある碑文が魅力です。
江戸時代の古道沿いに位置し歴史を感じられます。
早稲田通りからアクセスしやすい場所にあります。
【何のため、でしょうねぇ】2022/11/13 13時ごろ訪問お散歩中に見つけまして【どこにあるか】・なかなか難しいのですが、早稲田通りに当たりますかね。・そこから北に一本入って、落合斎場に向かう交差点にポツンとあります。【なんでしょうね?】・ずいぶんと損耗、磨耗が激しくよくわからないのですが供養塔ということはわかります。ですがわかるだけですね。・住宅の隅っこにぽつんとあるのですが、何か説明書でもあると良いのですが、そういうものもありませんね。
早稲田通りから落合斎場に入る道であるが、ここは古道で江戸時代には御府内境の道でした。現在も斎場がありますが江戸時代にも法界寺持ちの荼毘所があり、これに関係する供養塔かもしれませんね。表面に「南無阿弥陀仏」とあります。
| 名前 |
百番巡礼供養塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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碑文に寛政12年(1800年)、建立者は中野村打越の嶌嵜治良兵衛とあります。西国坂東秩父百番供養塔とは西国坂東秩父の百観音巡拝を記念して建てられたもので、東日本に多く見られる構造物だそうです。江戸時代にこの辺りは中野村の打越と呼ばれる地域の一部で、この奥に市ヶ谷薬王寺町の蓮秀寺の末寺法界寺の荼毘所(火葬場)があり明治時代に入り東京博善の落合火葬場に引き継がれました。落語らくだにも出てくる火屋とはここのことですね。夏目漱石の家族もこの火葬場で荼毘にふされたそうです。江戸の頃この辺りまでが朱引き内(江戸御府内)で江戸の西の端とみなされていました。現在の落合斎場の西にあるマメゾンという建物の西側あるいは(株)ラク ティーの入っている建物の東側の径は、江戸時代からある小川で今は暗渠で、この小川の西が中野区上高田、東側が新宿区上落合(江戸御府内)の境界線になっていることは現代でも変わりません。