台東区の歴史を感じる旧石灯籠!
浅草寺 燈籠の特徴
昭和38年に建立された旧石灯籠が美しいです。
明治二十五年の酒井亀泉製作の燈籠が歴史を感じさせます。
子供しかくぐれない小さな穴のある燈籠が印象的です。
浅草大平和塔浅草寺ホームページより昭和38年(1963)建立。浅草地区の3万人余の戦災殉難者の霊をまつる。台座の銘にはノーべル物理学賞の湯川秀樹博士の直筆「みたまよ、とこしえに、安らかに、われら守らん、世界の平和」。塔上部の「和」は浅草寺中興第24世貫首、清水谷恭順大僧正の筆。年中行事より3月10日 戦災殉難者追悼法会昭和20年(1945)3月10日未明の東京大空襲の被災者追悼の法会。建設趣意書より思い出づる調べも哀し昭和二十年三月九日の夜、B29三百機以上の大空襲により浅草一帯は火の海となる。••••浅草寺史略年表より1945年 昭和20年 3月10日未明の大空襲により炎上。本堂、仁王門、五重塔、輪蔵など烏有に帰す。11月18日.仮本堂落慶。1950年 昭和25年 4月22日、本堂再建勧進のため水戸出開帳が行なわれる(その後、昭和29年まで各地19回にわたる)。1958年 昭和33年 10月17日、新本堂落慶。45日間の記念開帳を営む。1960年 昭和35年 5月1日、雷門落慶。慶応元年の焼失以来95年ぶりの再建となる。1964年 昭和39年 4月1日、宝蔵門(旧仁王門)落慶。30日間の記念開帳を営む。1973年 昭和48年 11月2日、五重塔院落慶。1978年 昭和53年 本尊示現1350年につき、3月17日、18、19・10月15日〜11月15日の間、記念開帳を営む。1983年 昭和58年 3月28日、弁天堂落慶。1987年 昭和62年 33萬巻観音経写経満願。引き続き100萬巻写経運動を行なう(継続中)。1994年 平成6年 本堂西側の境内地整備工事完成する。10月20日、影向堂落慶。慈覚大師円仁さまご生誕1200年を慶し、10月31日〜11月6日まで御前立ご本尊のご開扉が行なわれる。2003年 平成15年 11月19日、駒形堂落慶。2008年 平成20年 本堂落慶50周年を迎え、30日間の記念開帳を営む。2010年 平成22年 12月6日、本堂大営繕円成。2011年 平成23年 9月21日、伝法院庭園が国名勝に指定される。以上参拝日∶2020年9月10日。
近年まで、明治二十五年(一八九二)に石工の酒井亀泉が奉納した燈籠が本堂前に安置されていましたが、これはその一部です。江戸時代後期、亀泉の祖父・栄三は酒癖が悪く、それがもとで失職してしまいます。 栄三の妻は信心していた浅草寺にお参りし、夫の酒癖の悪さの許しを願い、子孫代々酒を断つ旨を誓いました。この家訓を守り、やがて一家は石工として大成。亀泉がその報恩にと浅草寺にこの燈籠二基を奉納したそうです。平成十六年に、経年劣化などによる倒壊のおそれがある為、惜しまれながらも撤去され、ここにその一部を記念として納めました。
穴は小さくて、子供じゃなきゃくぐれないです。
| 名前 |
浅草寺 燈籠 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
〒111-0032 東京都台東区浅草2丁目7−1 淡島堂 台東区 |
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「台東区:旧石灯籠」2024年9月の写真です。本堂前に、5mもある大きな石灯籠でしたが風雨で劣化し、平成16年(2004)に除去されました。その一部がこれです。