世良修蔵の墓へ歴史探訪。
長州藩士 世良修蔵の墓の特徴
長州藩士世良修蔵の墓は歴史的な重要な存在です。
鬱蒼とした小高い場所にある石段が印象的です。
木戸孝允献じた灯籠が佇む特別な場所です。
官軍(西軍)参謀であった世良修蔵のお墓。長州で生まれた彼が遠い奥羽の地に埋葬されていることに感慨を憶える。訪問する人も少ないのか、荒涼とした小高い丘にある墓。しかし眼下には白石川が静かに流れ時の移ろいを感じるにはとても良い場所であると同時に戊辰戦争に想いを馳せることが出来る場所です。ここに来ると原敬の「戊辰の役は政見の異同のみ(後略)」という言葉が迫ってきます。
世良修蔵は長州藩士で、戊辰戦争の際、奥羽鎮撫総督府の下参謀として派遣されました。同僚の薩摩藩士大山格之助宛ての密書に「奥羽皆敵」という文言があり、それを見た仙台藩士によって殺害されました。お墓は明治3年(1870)に今の地に改葬され、同8年に墓碑が建てられています。明治9年(1876)の明治天皇東北巡幸の際には、木戸孝允と当時の磐前県令村上光雄が献灯しています。昭和48年(1973)、市の史跡に指定されました。
戊辰戦争には必ず出てくる人物ですが、悪役のイメージです。近くには、伊達政宗が白石城を攻めた時の陣地跡があります。
白石のガイドブックに載っていたので立ち寄ってみた鬱蒼とした小高い場所に20段余り石段を登り世良修蔵の墓がある福島の妓楼金沢屋にて暗殺事件が起きた…首は白石市の月心院に葬られた…とある江戸から明治に変わり戊辰戦争がありわずか150年前長州藩士 世良修蔵と仙台藩との深い関わりがあったということを知るきっかけとなった木戸孝允が献じたとされる灯籠がある(右側)意味深い場所であるように感じた近隣の老人クラブの方々が時折清掃されるということである白石市としても史跡であるので石段を掃き清めるなりの手入れは必要なのではないだろうか…少し残念な思いで落ちた枝など石段から取り払いお参りしてきた。
名前 |
長州藩士 世良修蔵の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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やっと参拝に来れました。