中島飛行機の地下道、発見の旅へ。
中島飛行機軍需工場武蔵工場地下通路の特徴
昔の中島飛行機工場の地下通路が存在する、歴史を感じられる場所です。
米軍基地として利用されていたグリーンパークの思い出も刻まれています。
武蔵野中央公園北東側には、かつての地下通路の床盤が展示されています。
かつてはグリーンパークの米軍基地でありました。
中島飛行機武蔵製作所の従業員は、正門(現高齢者総合センター付近)以外の出入口から入り、地下数kmに及び巡らされた地下通路を使って職場に通っていた。通路は種々あったそうだが、此処に展示されている床面が使われていた通路は幅・高さ約2.7m(内寸。外寸は約3m)だったという。通路の一部には道幅の半分くらいの木製で中に土が詰められた防護壁(厚さ40cm・高さ130cm)もあったそうだ。
中島飛行機武蔵製作所の地下に縦横無尽に張り巡らされていた幅内寸9尺の床盤が武蔵野中央公園拡張時に発見されたという事で公園北東側に展示されている。
旧中島飛行機工場だった武蔵野市北部の公園にあるコンクリートの塊です。往時は工場施設の床面だったとの事で、分厚さと錆びた鉄線が工場の規模や頑丈さを感じさせられます。しかし、この工場は7年間しか使われなかったとは惜しまれますね。中島飛行機武蔵製作所「地下道」について。
名前 |
中島飛行機軍需工場武蔵工場地下通路 |
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ジャンル |
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住所 |
〒180-0012 東京都武蔵野市緑町2丁目6−5 イチョウ口 |
評価 |
4.2 |
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千川小学校の児童だった1990年代の初め頃、同級生から「中央公園の何処かに中島飛行機工場時代の地下道がまだあるらしいよ。そこには空襲で死んだ人達の骨が転がっているんだって」という怪談めいた話を聞いたことがあります。当時は都市伝説のようにしか思っていませんでしたが、本当に地下道が残っていたとは。“言い伝え”も決して侮れないと思いました。