源正寺の墓地区画に入ってすぐに目にする慰霊碑です。
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名前 |
源正寺「倶會一處」の碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0422-60-1829 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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源正寺の墓地区画に入ってすぐに目にする慰霊碑です。中島飛行機武蔵製作所の空襲の際に、身元不明の遺骨5体分が残り、この方々を供養するために昭和23年(1948年)、関係者の手によって『倶会一処』の碑が建立されたそうです。『倶会一処』とは、多くの人々が共に一か所に集まり会う事や、この世の縁は別々でも、浄土で再び会う事が出来るという浄土信仰の一種のようです。身元不明の戦死者の方もせめてあの世ではご親族と巡り会えるような、ささやかな祈りと願いが込められた碑であります。なお、中島飛行機の創業者の中島知久平は浄土真宗の信者であった事もあり、深いつながりがあったとの事でした。東伏見稲荷と中島飛行機の関係が深い事は知っていましたが、中島知久平の中では神道も仏教も同居していたのでしょう。明治政府の神仏分離令によって分かたれた仏教と神道ですが、神仏習合の精神は人々の心の中で生き続けていたのです。