夕日と共に楽しむ、浪岡城の桜。
浪岡城跡の特徴
浪岡城址は岩木山を背景に美しい夕日が楽しめるスポットです。
桜の季節は隠れた名所として、訪れる価値がある魅力的な場所です。
日本に一つしかない土塁の設備があり、歴史的な雰囲気を感じられます。
20220807浪岡城址弾丸ツアーに出掛けました!昨日の弘前ねぷた祭りで、時間が無くて立ち寄れなかった弘前方面忘れものを巡りに行きました!先ずは、浪岡城跡へ続日本100名城103番スタンプを押印しに向かいます!三沢から「みちのく有料道路」を通って青森まで行き、高速道路に乗り換えて浪岡ICで下ります!下道を走る事30分で浪岡城跡案内所に到着!三沢から1時間半くらいですね!無人の案内所ですが、お目当ての続100名城スタンプ設置場所です!浪岡城跡のパンフレットも入手出来ます!綺麗な公衆トイレも完備です!浪岡城跡案内所の裏手の順路に従って散策します!意外と広い敷地に残る土塁と堀が綺麗に分かり易く残ってます!桜の巨木が沢山有るので春先は綺麗でしょうね!
この城は、難攻不落と言われた名城です。青森県内、色々城はあれどこのような素晴らしい城跡はないね。桜の時期ツーリングとか通勤で通ると、桜が見事‼️。県内外の人も、ここが桜の名所なのを知らない。だからか混まないのでいいのだ。美しい城です。(2022.5.2時点、桜は散ってます)
桜の季節は川沿い、公園内は見事な桜を咲かせてくれる、穴場スポットです。駐車場もありますよ。
北畠の城津軽為信に滅ぼされ、一時期為信の弟が代官を務めていた。北館には屋敷の柱が復元されており、区画も分けられていた。草や木も刈ってあり、整備が行き届いた城だったが、説明板がもう少し欲しかった。
中央の部分に辿り着けず、休憩する場所もなく、どこを行ってるのかわからないので、あまりオススメはしません。駐車場もわかりづらいです。
浪岡城を完全に侮っていました。桜がすごい!遺構がすごい!そして館跡から綺麗に津軽富士が見える!すごい穴場でした。
この城は南北朝の初期に、南朝の鎮守府将軍北畠顕家の子孫と称する浪岡北畠家の居城で、天正6(1578)年に北畠氏が大浦為信(後に津軽為信と改名)に亡ぼされ、廃城となったようです。その後の浪岡城は田畑となっていたようで、現在は発掘され公園として整備され、東館から北館、内館を散策する事ができます。駐車場は城跡の南東、案内所前に無料駐車場があり、入場料も無料で犬の散歩もできるようです。
続100名城で国史跡。1460年代に浪岡北畠氏によって作られた広大なお城跡。城内の高低差はほとんどないですが、堀や川、仕切り板を立てることで迷路のような構造になっています。なかなか面白い。
浪岡城(なみおかじょう)は、青森県青森市浪岡(旧南津軽郡浪岡町)にかつて存在した日本の城(平城)。 1940年(昭和15年)2月10日に青森県内で初めて国の史跡に指定された。 現在は跡地の北側を青森県道27号青森浪岡線が通る。北東へと続く丘陵の南端に位置し、城の南側の急峻な崖下には浪岡川と正平津川が流れていて天然の堀と水源を兼ねていた。築城以前は、1373年(文中2年)に平安京を模して敷地の四隅に祇園(現・北中野広峰神社)、八幡(現・浪岡八幡宮)、加茂(現・五本松加茂神社)、春日(現在は廃社)の各神社が配置されていた。その後、北畠家の支族である浪岡北畠氏の居城として長禄年間、応仁年間、または文明年間のいずれかに北畠氏4代北畠顕義によって建造された。中で応仁期が有力とされる。1578年(天正6年)浪岡北畠氏9代北畠顕村の代に大浦為信(後の津軽為信)によって攻められ落城した。現在、跡地には出土した遺物などを展示する「中世の館」や土塁、堀跡などがある。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(103番)に選定された。
名前 |
浪岡城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0172-62-0363 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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岩木山が夕日と一緒に見えてキレイでした。ただ、砂利が敷いてあるはずの歩道?が草で見にくかったので、履き物に注意が必要です。先に中世の館で御城印を購入しました。