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名前 |
鰍沢河岸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
中央の石碑は、大堰川(保津川)・高瀬川の開削で名高い京都の豪商角倉了以(すみのくらりょうい)の功績を称えた「富士水碑」。碑文は寛永九(1797)年。令和6年5月3日、山梨県立博物館の『富士川水運の300年』展から足を伸ばして訪問。展には2回目の訪問で、今回は学芸員の解説を聞いた。治水対策等のため江戸時代とは比べものにならない程、こんにちでは富士川の水量が少ないとの事。大悲閣千光寺の角倉了以像の迫力は素晴らしかった。展ではこの富士水碑の拓本も出展されていた。内容は富士川の流れが激しいこと、徳川家康が了以に開削を命じたこと、了以がそれに応えて苦心の末に完成させたこと、この石碑は信濃・甲斐・駿河の人々がその恵みを忘れないように建立したことからなるとのこと。なお、了以の開削以降も江戸時代を通じてずっと河道の改修は続けられたとのこと。 他に平成7年に完成した禹の瀬開削記念碑等。 日が暮れていたけど、躑躅が綺麗だった。 因みに、この「鰍沢河岸跡」は発掘調査されていて、報告書は全国遺跡報告総覧で公開されている。興味のある人は読んでみると良い。