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山玉向島講社(やまたまむこうじまこうしゃ)は、かつて向島地域にあった富士講の一つで、山玉深川 元講の枝講(えだこう)だったと考えられています。明治八年(1875)頃には 既に存在し、構成員は主に寺島・中ノ郷・須崎の三地区に居住していま した。専用の祭祀具をあつらえて月拝みを行い、夏季には20名前後の 人数で富士山を登拝していたようです。井戸の後ろに立つ石碑二基は、 その山玉向島講社が大正十一年(1922)に建立しました。 向かって左側に立つ石碑には「奉納基本金 大正十一年三月」と見え、 四代目先玉山丈行、講元松本萬次郎、そして当時の世話人22名の 名前が刻まれています。また、右側に立つ石碑には総勢82名の名前 と五軒の屋号が確認できます。