小泉八雲の終焉地、猫とも出会える。
指定史跡 小泉八雲終焉の地の特徴
小泉八雲が晩年を過ごした居宅跡地です。
石碑と解説が門の横に設置されています。
猫が人懐っこく、訪れる人を癒します。
ここにいる猫が、人懐っこくてかわいい。
八雲が市谷冨久町(現在は富久町)から転居し、亡くなるまでの二年を過ごした居宅跡地を示す場所。英語の説明板もあり、良い配慮と言える。石碑には転居から亡くなるまでの年月が英語と日本語で刻まれている。当時は閑静な住宅地で文士が多く住んでいたそうだが、全く想像が及ばない。
パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は1850年6月27日にギリシャ西部のレフカダ島で生まれでアメリカで新聞記者を勤め、来日。島根県尋常中学校、熊本第五高等学校の英語教師、「神戸クロニクル」紙記者を経て、東京大学講師、東京専門学校講師として英文学を講じたそうです。その間に松江時代に日本女性の小泉セツと結婚し、帰化して小泉八雲と名乗ったそうで日本を愛し、随筆集『知られぬ日本の面影』や小説集『怪談』などの数多くの著書を著し、日本を世界に紹介した人です(ΦωΦ)
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が晩年住んでいた場所。
偉人を忘れないようにするこの手の場所。趣が合って良いのだが、色々な場所で”文字が読みにくい”という事が発生。この「小泉八雲」もかなり読みにくい。立ったままの目線でもないし、文字が彫られているせいで、光の反射もある。そもそも読ませようとはしてないのかもしれないかも。
小泉八雲が最後を過ごした場所です。
明治37年、54歳で亡くなった小泉八雲さんの終焉の地です。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は新宿にゆかりがある。明治35年(1902年)にここ大久保に引っ越してきて、明治37年(1904年)9月26日に亡くなるまで住んだ。東新宿の職安通りを少し北に入ったところに小学校がありその敷地の脇に碑が建っている。小泉八雲終焉の地。その面影はないが、説明文と当時の住まいの写真がある。ここからすぐ近くの住宅街の中には、小泉八雲記念公園がある。
| 名前 |
指定史跡 小泉八雲終焉の地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
https://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/collection/shinjuku-collection/shiseki/550/ |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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学校の敷地ですが門の横に石碑と解説がありました。