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| 名前 |
大善寺址石坂供養塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
板橋区指定有形文化財。石造物の形状は兜巾型。寛保四年二月健之銘。願主は根本治兵衛と春日景左衛門。造立趣旨は,石坂の供養によって,石坂の耐久性を上げることだろう。側面の刻名では「石坂供養春塔」となっているので,こちらが正式名称と言えそうである。また漢籍碑文あり。撰文 里叟寅寮。ザっと読んだ感じなので,正確性は保証しかねるが,内容は「本尊は聖徳太子の模刻であり,どんな病でも治す霊験があり,東国や西国にも名を馳せ,人が集まってきていたという。また,大善禅寺等の殿宇前から清水が湧き出ており,まるで浄瑠璃世界の様であったとされる。またそれ故に清水薬師と呼ばれていたとも。さらに,近隣村落では,この清水を生活用水あるいは農業用水として利用していたが,その迂回路が非常に危険であったので,常福の直正和尚と西岸なる僧が一百段の石段を設置して,これを安全にした」という感じ。まず思うに,人が東西から集まってきたのは当地が中山道沿いにあったためであり,流石に大善寺を目指してやってきたものとは思われない。ここでいう「清水」は清水坂公園及び薬師の泉に現存するものと比定される。なお,大善寺は現「薬師の泉」ー「国道十七号線」ー「清水坂公園」周辺に存在していた様である。江戸後期の地誌『新編武蔵風土記稿』によると,「徳川吉宗がこの湧水を褒め称えた」という話があり,また,江戸後期の観光案内本『江戸名所図会』には,この湧水で育てた大根が当地の名産であった旨が紹介されている。漢文中にある階段(磴)は,現在の「志村清水坂」に設置されたものとされているが,現存していない。また,確かに現在でも勾配がしんどい。整備されていなかった当時はもっとだろう。「常福」は,戸田市の常福寺と思われるがどうであろう。※【翻刻】武州豊嶋郡志村庄中臺村醫王山大善禪寺青松雲崗和尚五世之孫在天禪師 草建地也當寺本尊藥師善逝聖德太子模刻而瑞像好之工妙天下其為德療百痾東西病客憧憧靈驗妙應来易以一二數寺殿前有毖泉湧沸峰巒回璟彌満庭 際四顧則浄瑠璃世界恰合尊像位置之靈境也因稱清水藥師闔山僧房至近隣村落皆足汲用延及田疇云惟恨山圍水繞行路甚若危險茲有常福直正和尚者 福者事参築僧西岸戮力助化伐楱荆闢庭疉石爲磴一百級猶棧道往還無行人 爲路爲捷者遂爲之銘其銘曰(漢詩略)